ゴーイング・アンダー・グラウンド

egawahiroshi2009-04-13


ゴーイングからキーボードの伊藤洋一の脱退が発表された。僕にとっては初めてプロデュースと言う名前で関わったバンドであり、もう10年以上の付き合いになる友達。よういっちゃんとも10年以上の付き合いだ。

今回の脱退について、僕の気持ちは「残念なんだけどしょうがない」だ。祝福と落胆を両手に抱えて立ち尽くしてる感じ。でもね、よういっちゃんらしいと思うんだな。

人間みんな何かを掲げて生きていく。何かを表現していく。ソウは切ない言葉の人だし、丈さんは美しい響きの人。石原君は全身で真面目で素直な気持ちを表す人だし、中澤君は優しいキラメキの人。じゃあよういっちゃんは何か?きっと真っ直ぐな情熱の人なんだと思う。

だいたい、サッカーが好きで、カズに感動して、サッカーの経験がないのにブラジル目指して高校やめちゃう人である。ゴーイングに入りたくて、キーボード弾いたことないのにキーボードで加入しちゃう人である(僕が出会った頃はピアノ教室通ってたし)とにかく何でもまっすぐ突き進むんである。

よういっちゃんは音楽の人ではない。オアシスとフレーミング・リップスウィーザーブルーハーツ。あとaikoか。そのくらいしか音楽には興味なかった気がする。よういっちゃんは音楽を表現したくてバンドにいるんじゃない。あの人はゴーイングになりたかったんだ。ずっとゴーイングに憧れて、ゴーイングが大好きで、ゴーイングと生きることに真っ直ぐな情熱を傾けてたんだよ。そうやってずっと駆け抜けて来た。ゴーイングは自分自身。ゴーイングの一番のファンも自分。

ただ、時は巡る。いつだってゴーイングが一番で、胸が張り裂けそうな表情で、誰よりも大きな声で歌っていたよういっちゃんも、家族が出来た。ゴーイング以外に自分の場所を見つけた。そしてゴーイングと同じくらい大切なものを授かった。それはとても尊い命。その時いろいろ考えたんじゃないかな。

ゴーイングの曲を聴けばわかると思うけど、メンバーみんな家族を大事にする人達。よういっちゃんももちろんそうで、子供が出来たらすべての愛情を注いでる。そんな状況で、よういっちゃんが音楽の人じゃないことが浮かび上がる。音楽の人じゃない自分が、ゴーイングに貢献できるのはバンドに100%の愛情を注いだ時。子供に100%、ゴーイングに100%、それは真っ直ぐな情熱の人、伊藤洋一には不可能だったんじゃないだろうか?バンドを愛するが故、100%じゃない自分が許せないんじゃないだろうか?

まあいろいろ書いたけれど、これは僕が勝手に考えた脱退の真相。ちょっと電話で話したけど、いろいろ考えた、時間をかけて考えた、ってことしか聞いてない。こんなに近い僕にもわからない世界がゴーイングにはある。あの5人だけが共有できる世界。でも5人のゴーイングは実は続いているんじゃないかな。よういっちゃんがゴーイングとして生きるには、脱退するしかなかったんじゃないかな。ゴーイングの表現する心のキレイな世界。汚れた世界に踏み入れてもどこかが美しい世界。そんな世界を表現するには子供のために生きる決断をするキーボーディストが必要だったんじゃないだろうか?そんなよういっちゃんも含まれた世界がゴーイングの世界なんじゃないだろうか?

次の野音でよういっちゃんは脱退する。最後まで全力で歌うんだろう。最後まで全力でタオルを回すんだろう。最後まで全力で飛び跳ねるんだろう。僕はよういっちゃんの最後の姿を見届けようと思います。涙はいらないかな。まあ泣いちゃうかもしれないけど。まあ泣きながら笑っている気がします。



よういっちゃん、そんなにTシャツを握り締めたら、Tシャツ伸びちゃうよ(笑)