「LOVE」を聴いて

ビートルズの「LOVE」を買って聴いてます。最初に違和感があったこのアルバムもなんだか慣れてきました。でもやっぱり何かが違う。僕の求めているビートルズと何かが違う。それを考えてみた。

このアルバムは音もいいし、各楽器が何をやっているかわかって楽しい。いろんな曲のミックス具合はビートルズファンには盛り上がるでしょう。ゴーイングの中澤王子もこれを聴くとやたらと上がると申してました。しかし僕にとってこのアルバムは明確すぎる。ビートルズの訳のわからなさが薄まった気がしてしまうのだ。

ビートルズとは4人の閃きの鋭い芸術家が、経験豊かな音楽家、ジョージマーティンにサポートされて作られたバンドだと思う。ビートルズの4人は誰も考えつかなった楽器の組み合わせであったり、閃きでしかないが美しい音のぶつかり合いを何も躊躇せずぶちまけ、それを音楽知識豊かなジョージマーティンが拾い上げる。この構図が素晴らしかった。ジョージがいなかったらビートルズはカルトな芸術家で終わってしまったかもしれない(まあブライアン・エスプタインのことは置いといて)。それが前衛的なポップを生み出した、あの傑作群を生み出した要因だと思う。恐れを知らない素人と経験豊かで知識にあふれた職人(まあその閃きも音楽的知識のある人には当たり前の場合もあるけど)。

でもこのアルバムには恐れを知らない素人が見えない。まあこの作品はジョージ・マーティンのものだからそれは当たり前なのだけど。いろんな作品のミックス具合も理論に裏打ちされたスムースで文句のないもの。それはそれは美しい。でもヒップホップのDJたちの「おいおいそれは無茶やろ!!」っていうサンプリングにびっくりさせられた後これを聞くと、組み合わせの妙は「上手いね〜、プロだね〜」で終わってしまうのだ。もちろんプロの技は素晴らしい、音楽的な質の高さは言うまでもない。でもどうしてもビートルズには訳にわからないものを求めてしまう・・・。

結局、僕はビートルズを音楽だけで捕らえられないのだ。存在感も含めてビートルズ。芸術家といったらいいのかな?そのたたずまいに僕は憧れているのかもしれない。

僕自身もただ音楽を作りたいわけではないのではない気がする。特に最近はバンドのメンバーと話していても、この人たちは音楽家だな〜って思う。それはものすごいリスペクトの対象であり、そういうものにあこがれた時期も長かったんだけど、結局自分で何か作るときは音楽かどうかは関係ない気がするのだ。何かこのカタマリみたいなものが表現できれば良いというか。こんなに長く音楽をやってきたのにある意味残念ながら。僕の目の前には音楽があったというだけで。

僕は音楽を愛しているし、ジョージ・マーティンは素晴らしいし、ウチのメンバーはすごいミュージシャンだけど、僕はどうしてもその位置がしっくりこない。音楽をやっているときは本当に楽しいし、音楽をずっと奏でたいと思うけど、何かが違う。一番の幸せは音楽家に囲まれながらそのカタマリを奏でること。これが理想に一番近い。でもいつも音楽家に囲まれていることは難しいので、自分の音楽家の部分も増やしていかなければならない。僕はそうやってシンガーソンライターになったのだ。ソロアーティストになったのだ。地道に。

ということで「LOVE」は音楽的な素晴らしいアルバムということだ。でもそれはあの時代のわけのわからないビートルズの作品ではなく、ジョージ・マーティンの素晴らしい音楽。まあ言うならばジョージ・マーティンを俺にくれということか。なんのこっちゃ