表現とはなんざんしょ

僕もややもすればアーティストなんて言われる、表現を行う人なわけですけど、自分の表現とは何なのか?最近考えてしまいます。

僕は音楽を作る人なのでミュージシャンなんてたまーに言われるするわけですけど、僕の表現は音楽なのか?についてはちょっと疑問に思ってます。別に音楽をやめるとかそういうことではないですよ。メロディー作りは認められてますし、作詞は仕事になるくらいですし、音楽はちゃんとしている方です。ミュージシャンの方々にも認めてくれる人が多いです。でも僕の表現方法とは、もっと拡散的というか、多様的というか、いい加減というか、もっとざっくばらんなもののような気がしています。

例えば、この日記も、僕にとっては完全に表現です。嫁を愛することも僕にとっては表現です。たおを育てることも表現です。音楽のためにサラリーマンで働くことも表現です。もっと言えば作品と言っていいかもしれない。最近すべてが自分にとっては表現活動であると思えてしょうがないんです。

まあもっとも得意な表現は音楽のはずだとは思うのですが(たぶん)、僕の表現というのは音楽を鳴らしている時だけではなく、人生すべてを通していくものなのだな、と思ってしまうのです。

とか考えていると、魅力的なミュージシャンって、音楽だけじゃないなぁーとも思ったり。かっこいいミュージシャンの日記は面白かったり、ステキだったりするし。つまんないやつの音楽もつまんないな、みたいな。まあ、人が面白ければいい音楽家ってわけじゃないけどね。

そんなことを考えてる僕は、すべてをとにかく表現としていきたいと思っています。生きることが表現みたいな。ただ疑念がひとつ。そうすると周りにいる嫁やたおは僕の表現に巻き込まれるんだよなぁ。僕の作品の一部として生きなきゃいけない。それって幸せなのかなぁ?そこだけはちょっと気がかりです。まあ嫁もたおも僕を自分の表現の一部にしてくれたらいいんだけど。

今日のたおは僕の両親と姉に会いました。ただその間ずーっと寝ていたそうです。そしてみんなが帰ったら急に腹減った!!と泣き始めて、ものすごい勢いでミルクを飲んで、あまりに急に飲みすぎてしゃっくり。嫁はてんてこまい。でも僕が病院についた時にはひと段落して、満腹でとても満足そうな顔をしてました。僕はずっと手を繋いでお話をしていました。

今日もたおは可愛かったです。