「ナタリーってこうなってたのか」/大山卓也

今やウェブにおける音楽ニュースの第一人者となったナタリーの社長、大山卓也さんがナタリーとはどういうものなのかを赤裸々に語っている著書。僕はナタリーができる前に、卓也さんや津田大介さんがやっていたネットラジオに参加していたので、ナタリーの立ち上げのパーティーなど、本書の風景を実際に感じてきた。正直こんな立派になるなんて!という驚きもあるんだけど、必然だったんだなぁーという納得の部分が大きい。

まず、「批評はしない」「全部やる」という一貫したスタンス。それがウェブの特性まで考えられたものであり、音楽ファンへの信頼の元に考えられているのが素晴らしい。以前の音楽ジャーナリズムでは、その雑誌のセンスがあり、それを通して音楽ファンは様々な音楽に触れることになっていた。それは今のようなたくさんの情報に一般のファンが触れることが難しい状況だったので、それが間違いとは思わないけれど、特権主義的なイメージにも繋がっており、さらには実際には出稿(要は広告ね)の規模によりインタビューの取り上げられ方が決まっていたりするのを知ってしまうと、そのセンス自体にも疑問が持ち上がってしまう。その点ナタリーの場合は批評はしないので、特集記事にはお金が払われているのは明白。しかし普段のニュースにはそんな関係性は一切ない。選ぶのは音楽ファン自身。

結局この透明性、信頼感なんだと思う。情報はたくさん溢れているけれど、信頼すべきものかどうかの判断が難しい中で、まず信頼を勝ち取った。そしてさらには「みっともないことはしない」という姿勢。これは難しいところだと思うけど、AKBの坊主頭騒動の時にその映像をリンクしない、載せない判断など、要所でその「品」を示してきたんだと思う。

今の時代、信頼ほど大事なものはない。企業としての「透明性」、そして法人という人としての「品」。信頼を得る際に必要なこの二つが揃ってることがナタリーの成功の肝なんだなぁーと納得した著書でした。

僕が3枚目のアルバムを作ってナターシャまで聴いてもらいに行ったとき、卓也さんに言われたことが忘れられない。僕は宣伝とか流通とか、いろんなことに悩んでいる時に「エガワさんは全部自分でできるでしょ」といとも簡単に言われた。そう、この人はカジュアルに、いろんな難関を飛び越えてきたんだろうなぁ。地味にやるべきことをコツコツやるだけ。やるかやらないか。そのスタンスはカジュアルだけど、とても強靭だと思う。

ちなみにこの本で一番おもしろかったのは、最後の津田さんと唐木さんの対談の麻雀の話。あんなに冷静にいろんなことに接してる津田さんが、卓也さんの「運」を信じてるのが楽しい。そういうのいいよね。

しかしねぇ、ライブハウスにガリガリ君食べながら入っている人がそんな立派な社長になるなんて!