お父さんの中の母親感


昨日ツィッターでメッセージが来て。いつも夕飯の献立とたおちゃん日記楽しんでます!っていうとても素敵な奇特な人なんだけど、その人から、エガワさんのご飯からは「男の料理感と昭和の母親感が上手くミックスされてる」との言葉を貰って。それを聞いて膝を打ちまくり。なるほど!と。

保育園でもお父さんは僕だけということもよくあるし、そこに馴染んでいる自分を見て、どうも自分の中に母性があるんじゃないかとか、そのうちおっぱい出るんじゃないかとか、そんなことを感じる時がある。おっぱい出たらたまげるけれど。

それは多分に母親の影響だと思うんです。我が母親はザッツ豪快な昭和の母。お客様が来たら山盛りの料理を振る舞い、料理の分量とか超テキトー。でも味は旨くて、料理上手と言われてる。皿洗いもいいかげんだからよくコップが汚い。だからか皿洗いとか秒速で終わる。ゴキブリは手で潰し、おかずをかっぱらう猫はビールの瓶で小突くなど容赦ない。でも子供には優しく、児童館のおばさんとかやってるし、兄と同い年のいとこにはおばさんがなかなかおっぱいがでないので、おっぱいまであげてた。サスペンス劇場とか怖い話が大好きなんだけど、霊的なものはまったく信じておらず、お掛け屋敷ではお化けにアンコールを求め、不幸の手紙は見たそばから破り捨てる。死生観は死んだら土になるだけ。でも亭主関白な性格の悪い父親をじっと支えていて、文句を言うのは子供を守る時だけ。もうドラマに出てくるような肝っ玉母さん。

そんな母親に育ったからか、僕の中には徹底的な昭和の匂いがある。そして、末っ子で一番母親の影響下にある僕には、その母性までも受け継いだのかもしれない。小学生の心の形成期に父親が単身赴任でいなかったことも、この母親化に寄与してるのかもしれない。

なので、我が家にはお母さんとお母さんっぽいお父さんがいるという不思議な状況が出来上がります。嫁は特にお父さんっぽくはないので、バランスは母親に寄るという。でもたおが小さい時はそれで良い気がする。小さい時に必要なのは母親でしょ。父親なんて添え物。でも思春期を迎えた辺りには父親のボリュームを上げなきゃいけない。社会としての父親が必要。でも大丈夫。だって俺は母親じゃないもの。おっぱい出ないもの。チンチンついてるもの。そんな立派じゃないけど。

明日は卒園遠足。またお母さんに囲まれてきます。まあそれが日常だけど。違和感もないし。お母さん達もそう言ってたし。