命が教えてくれること

3歳の時、それは初めての記憶。母親の親戚のおじさんが亡くなった。僕は初めての葬式に出ていた。そこの家は駄菓子屋さんで、自分の母親を含め、親族一同が部屋で悲しむ中、僕は売り物のお菓子を好きなだけ食べて良いと言われていた。夢のような世界にワクワクしていた。悲しみと日常は隣り合わせだということを知った。

17歳の時、僕は中学時代ずっと好きだった子が、白血病で入院してることを知った。すぐに友達と会いに行き、しかし病魔に侵されたその姿に何も言えなかった。「ごめんね、びっくりしたよね」というその子に、何1つ言葉をかけられなかった。一週間後、その子は息を引き取った。強くなければ、優しくなれないことを、痛みと共に知った。

21歳の時、生まれた時からそこにいるような、幼馴染の親友がガンで亡くなった。病は徐々に進行してたから、覚悟はできていた。何年もその経過をただその隣にいて、日常を過ごしてた。人はいつ死ぬかわからないことを、骨身に刷り込まれた。

23歳の時、姉の旦那さん、僕にとって義理の兄が亡くなった。突然死だった。僕より7歳上の姉はとても強い人で、泣いてる姿なんて見たことがなかった。葬儀の時もただ静かにそこにいた。でも出棺の時、急に今まで聞いたことのない大きな声で姉ちゃんが泣いた。家族が亡くなることの辛さを知った。

それからは、色んな人のお葬式や、最後の時に立ち会ったけれど、もう人の死というものの受け止め方も知ってるつもりだった。でも今回の橋口君のお別れの会で、もうひとつ思い知らされた。そんなことはもうわかってたつもりだった。それは、親より先に死んではいけないということ。

僕は親の側から人の死を捉えたことはなかった。そんな当たり前のこと、と思っていたけれど、本当の意味ではわかっていなかった。橋口君のお別れの会から帰って、たおのことを強く抱きしめた。そして静かに、「絶対にお父さんお母さんより先に死んだらダメだよ」と伝えた。たおはなんだからわからないながらも、真面目に頷いていた。気持ちは伝わったと思う。

人の命は尊い尊いものがなくなる瞬間は、大事なことを教えてくれる。僕らはそれを受け止めて生きていくしかない。

昨日は友達とバカ騒ぎした。とても、とても楽しかった。僕は生きている。まだ生きている。