時間貧乏


時間には限りがあります。あれをやったらこれをやる時間がなくなり、今何をやるべきか常に考えてる自分がいます。人生も恐らく半分は過ぎてる訳で、そんな無駄なことしてる暇はないなと。

たおが生まれる前は、自分のしたいことをできる限りしてました。勿論生きていくためにはしなきゃいけないこともありますが、それは当たり前の話。それ以外はワガママ言わせてもらってたと思います。

そしてたおが生まれました。これで子育ての時間、嫁との分担の更なる増加が必要になります(お母さんは死ぬほど忙しいのです)。最初に削ったのはサッカーを見る時間。観戦に行く時間も。今でもレッズの試合は毎試合行きたいし、海外サッカーだって見たい。でもその時間を生み出す余裕がなくなりました。

さらに小学生に上がると、たおの一輪車、学童での役割分担などで使わなければいけない時間が増えます。自分の時間はさらに減少。それに対しては苦肉の策で、ライブの時間を削りました。音楽の中で優先順位をつけ、作家としての自分、音楽を作る自分を最優先にした結果。それは人のライブを見に行くことも減らすことになりました。残念だけど、自分の娘の夢の為。その代わり気合いが入ってない時は激怒です。

そして今はご飯を中心にたおの世話を全般的にやりつつ、一輪車も基本的には引き受けてます。演技と歌のレッスンはなくなり、洗濯、掃除は最近はもっぱら嫁がやってます。あとは勿論働きにも出てるのでその時間もありますが、それが今の僕の自分以外の時間。そして残った時間は自分の時間です。この時間を作家の仕事に当てます。最悪睡眠時間を削りながら。そして早朝等で音を出せない時、そして時間が短くて音楽に向かない時は本を書いてます。仕事の行き帰りもそう。

とにかく何をやるにも気軽に出来なくなってきました。その最たる例が映画。家で見てたら必ずどこかで早送り再生したくなる。飲みに行くのも1人が良くなったのはそういことかもしれない。楽しい時間を過ごせる人、何かを得られる人ならまだしも、そうでもない人と飲みに行くとなると躊躇してしまいます。なんかこういうの時間貧乏みたいで嫌なんだけど。仕事しながら音楽やってるなんて、そんなの当たり前だからね。

最近のせっかち爺さんぶりもこの影響だろうな。待ってられない。その時間に何か出来てればいいんだけど、何もない時間がもったいなくて許せない。大して変わりないのに。

あぁ、僕は絶対に沖縄では暮らせない。なんくるなくない。あの嫁と出会った頃までのおっとりした自分はどこに行ったんだろう?いつも口を開けてぼーっとしていた少年はどこに行ったのだろう?大人になると丸くなるなんて嘘だよ。