東京


東京に憧れていた。いや正確に言えば東京に出て行くというストーリーに憧れていた。たくさんの名曲を生む「東京に出て行く」というストーリー。埼玉の浦和に生まれ育った僕には東京は近過ぎて、そんな遥か遠い場所ではなかった。音楽をやるからと飛び出した場所は、電車で40分ほどの高田馬場だった。1日に何往復もできるくらい近くて、とてもじゃないが東京に出て行くストーリーは当てはまらなかった。

25の時に福岡に移住した。一度目の結婚をしていた僕は、音楽がどうとか言ってどうにもならない息子にしびれを切らしたお義父さんに呼ばれ、福岡に住むことになった。最初は何故自分がこの場所にいるのかを咀嚼出来ずに苦しんだ。しかし福岡生活の終わりには今でも会いたくなる先輩達や友達が出来た。でも東京に戻ることになった。離婚して、また音楽の道を目指す為だった。

博多から新宿へ向かうバスに乗った時、初めて東京に向かうストーリーが現実味を帯びた。お金ないし、戸籍にはバツが増えたし、両親は口を聞いてくれなくなった。でも手の平には希望があった。いや、希望だけがあった。他は何もないけど、闇雲な希望だけがあった。福岡の街がサヨナラを言ってる気がして、窓から移り変わる風景をずっと見ていた。やっと動き始めた歯車に安堵していた。初めて自転車に乗れた時のように、足がつかずに前に進むことに驚き、喜びを感じていた。そしてストーリーの始まりの心地良さに浸り、いつの間にやら眠っていた。初めての夜行バスの旅はとても短く感じられた。

目覚めるともう新宿の街だった。僕が東京に出てきた瞬間だった。タラップを踏みしめ、新宿の街に降り立つ。東京に出会う瞬間。僕の中の東京ストーリーが始まるはずだった。でも、そこはやっぱり浦和のすぐ近くの新宿だった。見慣れた街だった。新宿の街は「来たか、新入り」とは言ってくれず、「お帰り、久しぶりだね」と言っていた。

だいたい、福岡から向かっていたのは東京じゃなかった。埼玉の浦和だった。そこには自分の実家があった。ある意味里帰りだ。出戻り息子だ。そんな奴に東京は洗礼も力も与えてくれない。僕の前には浦和のストーリーしかなかった。

結局東京に出るのは二度目の結婚の時だった。そこにはもちろん東京のストーリーなどない。みんなから祝福されたイバラのない東京物語。でもどこかの地点で気づいてはいた。誰かのストーリーに憧れたところで、良い物語なんて書けやしない。僕には東京ストーリーは必要なかった。

今ではそんな風に理解しているし、無理矢理東京ストーリーを考えることはない。でも、今でも羨ましくはある。だから、僕は負けないような浦和ストーリーを書かなきゃと思っている。なかなか難しいんだけど。

竹原ピストルの「東京一年生」を聞いて、久しぶりに東京を思ったのでした。やっぱひ凄い人だね。うん。