さよなら平成

 

 


平成が終わった。

 


平成は高校卒業の時期にやってきた。卒業ということは大学受験であり、男子高に入って深い沼に足を取られていた僕が、受験に失敗しまくり、どんどん深みにはまっていったのが平成初期だった。

 


平成初期は自分が何者なのか分からず、何にも自信を持てなかった。そして禅問答のように哲学的な答えを探し彷徨っていた彼女と結婚して、お互いの肩を貸し合って、なんとか立ち上がろうともがいていた。嫁のお父さんが今後を心配して呼び寄せてくれた福岡の地で、僕達はなんとか立ち上がることが出来た。だがそれはお互いの肩を必要としないことを意味していた。僕らは離婚して僕は埼玉の実家に出戻った。26歳。もう平成という年号はすっかり馴染んでいた。

 


音楽がやっと自分の真ん中に収まった僕は、初めて武器を持った気分だった。その武器は僕にメジャーデビューという扉を開け、人生を一つ前に進めてくれた。今の嫁に出会ったのもこの頃で、この嫁との出会いがこの後の僕の人生に光を当ててくれることになる。平成は10年を過ぎていた。

 


ただ僕の持っていた音楽という武器は無敵ではなかった。レコード会社との契約は切れ、這いつくばりながら音楽を続けた。僕には相変わらず音楽という武器しかなかったから、音楽にしがみついていたというのが実態だと思う。そんな時に沢山の仲間が手を差し伸べてくれて、この時期を乗り切った。友達というものが30にして初めてわかった。

僕に常に柔らかな光を当て続けてくれた彼女のことも考え、サラリーマンにもなり結婚もした。僕は自分が音楽で生きているんだと思ったが、音楽では生きていけないことに傷つきながら、現実を受け入れていた。夢は夢であり、夢の続きがあることを知った平成中期の10年だった。

 


そして作詞作曲家として少しずつ結果の芽が出始め、少しずつ音楽に自信を持てるようになった。自分が尊敬しているミュージシャンが自分の作品を認めてくれることで、いつも自信の足りない僕も顔を上げて歩けるようになって来た。

 


そしてたおが生まれた。父としてなんとか威厳を持てるくらいに音楽が育っていた。そして育児に夢中になった僕は、サラリーマンを辞め、たおの子育てと家事を主体的にやるようになった。料理にもハマった。僕はいつのまにか家庭人と呼ばれるようになった。

 


平成の終わりが近づき、初めてのオリコン1位も経験した。自信と結果のバランスは初めて一致しはじめた。その幸運を運んでくれたグループが空中分解のようになっているのが残念でならない。全員の名前も顔もわかるくらい親愛の心が育っていたのに。みんなが笑える終わりは全く見えそうにない。

 


僕にとっての平成とは、何も持たず、深き沼に沈んでいた僕が、なんとか這い上がり、幸せの形を形作るまでの物語だった。全ての人それぞれに、様々な物語が平成にはあったんだと思う。僕にとっては青春というか、闇雲に駆け抜けた日々。平成に出会った全ての人に感謝したい。

 


令和は、音楽と育児、料理、そして一輪車の日々かな。サッカーにももうちょっと時間が欲しいけど、なかなか難しい。たおの笑顔と嫁の幸せを第一に、自分にできることを精一杯やっていきます。家族以外では音楽が最優先かな。今年はデビュー20周年だから、令和初の作品を出せれば。というか色々動いてはおります。

 


なんてことを口にしながら令和を始めます。令和もみなさんよろしくお願いします。こんな僕に興味を持ってくれる人がいてくれることに大感謝。みんなが愛しい。愛しの令和。