心の手

 

 


悲しい事件が起きると、子供をどうやって育てるべきか、子供にこの世界へ対応する力をどうつけさせるべきか、色々考えさせられます。自分がいなくなった後も生きていける人間にする為に。

 


最初は簡単です。溺れるほどの愛情を与えること。子供は愛情を浴びるように育つことで、自分は愛される資格があるんだということを理解します。これがベースとなる第一段階で、それは主に幼少期。この時に気をつけなくちゃいけないのは、この時に良い子にしようとか考えないこと。言葉がわからない時に色々怒ったって何も通じない。危ない時だけそのことをしっかり伝える。あとは日々抱きしめる。

 


けど、このまま育てていくと、ただの我儘放題な人になります。意思疎通が出来るようになったら、正しいことと悪いことを教える。しかもその理由を必ず説明する。理由を説明しないと子供は考えません。親の言う通りにしておけば良いんだな、と判断してしまいます。説明するのはとてもしんどいけれど、自分がどうやって考えてきたかを思い返す良い機会になります。よく子育てすると人は成長出来るってのはこのこと。逆に言えば、これをやらなきゃいくら子育てしたって成長なんてない。

 


でも、それだけでは性格は良くてもこの世界で生きていく力は育ちません、ここで大事なのはその手を離すことです。今までしっかり握っていた手を離すこと。子供が大事なら、尚更手を離し、子供が困難と出会う機会を作らなければいけません。そこで子供はたくさん傷つきます。でもその傷がなければ、涙を流さなければ、この世界で生きていくことなんて出来ません。その術を手に入れることなんて出来ません。

そしてここで気をつけるべきは、手を離しても、心の手は離さないこと。傷つき、疲れて帰ってきた子供に、味方がここにいること、そういう存在がここにいること、それを伝えることです。その方法は千差万別でしょう。僕にもその方法はわかりません。でも、味方がいることを忘れさせたらいけない。そのことだけは心に留めておくべきだと思います。

 


そうやって子供を育てていれば、あんな凄惨な事件を起こす犯人にはならないと思ってます。天才やら立派な人になれるかはわかりませんが、愛情を知り、自分のことは自分で出来る人にはなると思います。

でも、何かがどこかで掛け違ってしまった時、ああいう犯罪に関わるような心が生まれます。それはもしかしたらなんてことない子育て上の手抜きだったかもしれない。なんてことない勘違いだったかもしれない。そんな理由で悲劇は生まれる。子供を育てるってのはそういう責任が伴ってるんだなと、とても大事な仕事なんだと、痛いほど感じます。痛いほど。

 


まだ9歳の娘しか育ててない僕がこんなこと言ってクソ生意気ですけど、僕は周りに掛け違った人がたくさんいたので、10代の頃からそんなことをたくさん考えて生きてきました。何故そんなことになるのか?本を読んだり、いろんな人と話したりしてきました。なので、僕は自分なりの確信を持って子育てしてます。全ての人に正しいとは思わないけれど、誰かのヒントにこの日記がなってくれたら。何かのきっかけになってくれたら。

 


世界を恨んでる人がいる。僕はその世界の一部。僕も恨まれている。あなたも。恨まれている側に、何か出来ることはないだろうか?