部外者

 

 


僕は別に人嫌いではないし、社交的な方だとは思うのだけど、いつも自分が部外者だと思っている。異分子と言っても良いか。

 


ミュージシャンにはこういう人は多い。社会に馴染めず、音楽に出会い、音楽の世界にいることで初めて自分が認められたように感じる人達。でも僕はその中にも入れていない気がしている。

 


サラリーマン的な世界にいると、ちょっとズレてるというか、そんな存在になる。いつかはいなくなるんだよね?とみんなが思っている、ストレンジャー的な存在。

 


じゃあ音楽の世界にいればどうか。バンドマンにも、スタジオミュージシャンにも、作詞作曲家にも、シンガーソングライターにも、向こう側の人として扱われることが多い。別にお前出てけ!他所者!みたいなことはないけれど、いつも座り心地の悪さみたいなものを感じている。

 


そして学校や一輪車のチームで保護者の集まりの中にいても、あの人はね、という何か一つ解説が入るというか、形容詞のようなものを頭に乗せられている感覚がある。

 


でも、僕は引越しもせずに埼玉の浦和でずっと育ち、そこのコミュニティーに密着して生きてきた。アイデンティティが崩壊するような大きな事件も、存在証明が必要になるような巨大なコンプレックスもない。言ってしまえばばどこにでもいる、普通の男だ。そんな男が部外者だと思うなんて、中二病的なあれか、どこかの感覚に欠如があるとしか思えない。

 


まあ多分、まだ模索中なんだと思う。ここじゃないもっとぴったりなものが、場所があるはずだ。そんな風に思ってるんだと思う。そして、それはたぶん幻想。そんなものはどこにもなく、人はそれぞれ大なり小なりの違和感と共に生きていくんだと思う。それなのにそれを言語化するほどに感じている。そんな滑稽な存在。それが自分なのかな?と自己評価してる。そんな恥ずかしい私は成り立ての48歳。獅子座のB型。

 


ちょっと今まわりがゴタゴタし出している。家族は大丈夫。でもちょっと生活が微妙に変わるかもしれない。変わらないかもしれない。

僕は滑稽だと思っていても、違和感を大事にしたい。勿論地に足をつけた大人の感覚も持ち合わせながらでないと家族を悲しませることになるから、そのバランス感覚は大事にする。でも違和感を無視しない。自分が部外者であることを恐れない。それが自分が実践してきた生き方。それを変えるつもりはない。そしてそんな感覚を共有してる家族もいる。まあ嫁だけか。嫁も部外者として生きる人。人生の伴侶が理解者で良かった。

 


大した話じゃないのでご心配なく。違和感とともに、部外者として生きる。それがわたすの生きる道。