おじさんのSNS

 

 


若い子の自己肯定感の無さが気になってる。所謂ゆとり世代と言われるくらいの人達が皆肯定感に乏しい。それぞれ長身のイケメンだったり、モデルばりの美貌を持ってたり、仲の良い家族と良い旦那に恵まれてたり、客観的に見たら十分に魅力的な人達。なのに私なんて…というスタンスを崩さない。しかもそれが謙遜だったら良いんだけど、どう考えても本当に自信がない。なんなんだこれは?

 


どうやら話を聞くとSNSが大きいようだ。周りのアップする充実した日々に比べて自分は…っていうものが一つ。そして逆に関西弁で言うところのイキってると揚げ足を取られる恐怖から、自分に満足してる態度を取れない。もう全てにおいて監視されてる意識が強すぎる。簡単に言えば自意識過剰。

ただそれは自意識過剰だよって話をすると、とてもバカにされたように感じるみたい。自分ばそんなバカじゃない!って自負もあるみたいで。

 


まあ確かに自分の世代くらいから、それこそmixiの時代くらいから、それぞれのライフスタイルが可視化されているのは間違いない。そしてそれは自己表現の力も試される場。文章が面白くない奴は会って話しても面白くないし(天然の人は別ね)、写真のセンスのない奴は芸術のセンスもない(あぁ、、俺のこと…)。まあ俺からすると過剰にお洒落にしてる人もなんかむず痒いんだけどね。

 


自分の周りにいるミュージシャンのような人達は世に出ることを選択した人達。だから自己表現を行なっていくのは当たり前だし、宣伝としてSNSは欠かせない。

でもそれ以外の人はそんな心構えもないし、欲求も無いのに、世の流れに流されSNSを始めてしまった。そんな人がうまくSNSを使いこなせないことで必要のない悩みを抱えているように思う。みんな芸能人じゃないんだから、そんな頑張ることないのに。

 


ここはおっさんおばさんの出番ではないだろうか?若い子の斜め上を行くダサいインスタ、フェイスブックを繰り広げる。そして若い人達はそれを笑い、自分に安堵する。そしていつしかダサいSNSで埋め尽くされ、SNS自体が電話や手紙やFAXのように連絡を取る手段として認識されるようになる。ライフラインの一つとして。ダサさが全てを包み込む。ダサいレボリューション。

 


そう、俺のインスタやフェイスブックがダサいのはワザと。みんなの幸せの為にダサいのだ。俺の写真がダサい?そんなの当たり前だ。それが俺の優しさ。俺の真心だ。サマーヌードだ。そんなこともわかってないで俺をディスるんじゃない。俺の愛情は世界を超えて伝わってるはずだ。そのうちジャスティスビーバーにもいいねされるはずだ。ピコ太郎ならず、シコ太郎として世に出るんだ。いかん、シモネタに流れた。全裸監督の見過ぎだ。

 


まあとにかく、SNSなんて足の小指でやるくらいがちょうど良い。そんな鼻息荒くしてやるもんじゃないよ。そこの若人。力入りすぎ。

 


いいねを捨てて街に出よう。いいねを捨てて街へ行こう。いいねを捨てて飲みに行こう。おじさんと一緒に。