エッジに触れる

 

 


アーティストは不幸じゃなきゃいけないみたいな言説が大嫌いだ。精神疾患自慢、トラウマ自慢みたいなインタビューで祭り上げられる、作り上げられたカリスマを売りにする人は基本的に毛嫌いしてる。

 


幸せの中から名曲を作る!そんな考えは常に持っている。でもそれは、平々凡々としてても良いんだよ、っていう事とは違う。不幸である必要はないが、強烈な体験、エッジに触れる経験は、ものつくりをする人、何かを生み出す人には必須なんだと思う。

 


昨日は雑多な音楽業界の人々と飲んだ。そこで現在も一線で活躍するカメラマンさんと大御所作詞家さんのインド話になった。若い頃、それぞれ1年、3ヶ月半とインドに滞在しており、そこで体験したヒリヒリするような体験を話してくれた。

 


廃人同様の人がそこかしこに転がる世界。川に赤ちゃんの死体が流れ、そこで沐浴して歯を磨く人達。話の一つ一つが強烈。ぐちゃぐちゃになった泥のような話が、極彩色の物語として僕らの前に差し出される。

 


この強烈な経験がある2人の表現には幅、奥行きがある。命を晒して生活した経験は必ず何かをもたらすんだと思う。きっと見えてる風景が違うんだろう。才能、元々持ってるセンスの上に、その経験が重なって花開いているのは間違いない。何もない人だったら、そこに転がる廃人の列に加わるだけだったかもしれない、正にギリギリの世界。

 


それならみんなインドに行け!というのも違うと思う。大事なのはエッジを意識する事。ありきたりの日常の中にもエッジは存在する。それを見つめる意識、それを感じ取る感受性、それが必須なんだと考えてる。不幸になれば良いわけではない。そこにあるヒリヒリしたものを見逃さない事。それが生命線。

 


最近色んなことが転がり出しています。生活が少しずつ変わって来ています。僕はどこに向かって転がっているのか、自覚的で計画的なタイプではありません。風任せで流れに身を任せているところがある。でもエッジに敏感になりながら、必要な選択は勇気を持ってしていきたい。風に舞うコンビニ袋ではなく、風に乗る凧のようになりたい。

 


凧糸は嫁とたおが握ってる。それが我が家の形。僕はもっと上手く風に乗らないといけない。そうじゃなきゃ、しっかり握ってくれてる家族に申し訳ない。

 


ちなみに、実は我が家で1番エッジが効いてるのは嫁です。この普通のOLのような顔した嫁が。この人を侮ってはいけない。笑