良い子

 

 

 


子育てをする時に絶対的に気をつけなければいけない事が一つある。それは躾や教育を行う時に胸に刻まなければいけない事。

「それは誰の為?何の為?」

この問いは常に頭に叩き込んでおかなきゃいけない。

 


子供はペットでもアクセサリーでもない。良い子だね、と言われる事で自分が褒められた気になって、気持ち良くなっちゃって更なる承認欲求から子育てに向かう人がいる。それが適正な範囲内なら結果オッケーなんでしょうけど、褒められたいがあまりに躾が厳しくなっていくとか狂気の沙汰。挙げ句の果てに暴力にまではみ出していくなんて。子供の事を考えるあまりに手が出てしまう事はありえない話じゃない。でもそれが自分の為だったら?自己の承認欲求の為に殴られる子供はどんな気持ちでその暴力を受け止める?殴られた場所よりも、心に激しい痛みが残る。

 


これは「あの親酷いね…」って話しじゃない。どこの家でも大なり小なりある話。だからこそ頭に叩き込んでおかなきゃいけない。今言ってるその言葉、その行動は本当に子供の事を考えての事なのか?周りから見て恥ずかしいからとかじゃないのか?

 


良い子に育てたいんじゃない。この世界で上手く生きていく為、楽しく幸せに生きていく為、周りの人にもその気持ちを伝播させてみんなで楽しく生きていく為、その術を教えていく結果、良い子と言われる子に育つ。目的は良い子と思われる為じゃない。目的は幸せになれる力をつけること。それを忘れたらそれは子育てじゃない。自己満足という自己愛。

 


我が家の愛娘たおは良い子と言われる子に育ってます。毎日どうしたらたおが楽しい生活を送れるか、しかも親が差し出したものではなく、自分で楽しい事を見つけて生活出来るか。それだけを考えて子育てしてます。お陰でいつもたおは笑ってるので、周りに人が集まって来てます。何を差し置いてもやりたい事も見つかって夢中になってます。我が家は子育ての達人じゃない。たおに幸せに生きる素質があっただけ。それを摘んでしまわないように手探りで、必死で、失敗を繰り返しながら子育てしてきました。その為には沢山考えた。沢山本を読んだり勉強もした。何よりたおの事を見つめ続けました。

 


5歳で人生が終わるなんて不幸はあってはならない。それも親の自己満足で終わるなんて許せない。でもそれは対岸の火事ではない。自分達にもその火の粉がかかってる事を忘れたらいけない。

 


その子育ては誰の為?今一度問いかけてみることをお勧めします。目の前にいる、その美しい命の為に。

 

f:id:egawahiroshi:20191004103803j:imagef:id:egawahiroshi:20191004104016j:image
f:id:egawahiroshi:20191004104008j:image
f:id:egawahiroshi:20191004104001j:image
f:id:egawahiroshi:20191004104005j:image
f:id:egawahiroshi:20191004103956j:image
f:id:egawahiroshi:20191004104012j:image