私刑

 

 

 

 

前から思ってるんだけど、社会的制裁というのは必要なんだろうか?憲法でも私刑というのは禁止されているはず。民主主義国家では刑法というものがある。その刑法で裁かれた人を更に攻撃するのは正しい事なんだろうか?

 


特にネットの世界での「正しさ」を掲げまくり、我に理あり!みたいな態度で断罪する人達がいる。いや法を犯している人に、特に酷い犯罪だったらそんな気持ちを持つのは無理もない。俺だってそう。でも、それで住所晒してやれ!だの、殺してしまえ!的な言説はどうなんだろう?気持ちはわかるけど、刑法上の罰を超えて攻撃する必要はあるんだろうか?

 


芸能界で薬で捕まったような人達に対して、それこそ2度と戻れないようにすれば良い!なんて言い方をする人もいる。あれも法で裁かれるわけで、それ以上の攻撃は必要なんだろうか?勿論、芸能界はスポンサーありきだったりするので、スポンサーが難色を示すから起用できないとかはわかる。でもそれと2度と戻って来れないとは別なんだと思う。

 


どんな時でも正しさを求める今の声の強さにはちょっと異常さを感じてます。人は間違う生き物だという観点が抜け落ちすぎてる。人は間違うから罰も用意されており、その罪の大きさで受ける罰も違う。罰が小さすぎるっていうなら刑法を変えて行くべきだし、そういう方向の議論はわかる。でもまるでストレス解消のように罪人を叩き続ける姿には恐怖しかない。みんな自分は絶対に間違えないとでも思ってるんだろうか?自分は永遠に強者で、あんな心の弱い奴のことなんて考えなくていいんだ!って思ってるんだろうか?自分は貧困にも鬱にもなるはずがなく、心が弱る事もないとでも思ってるのだろうか?人は強い人だけで出来てるわけじゃない。弱い人は切り捨てれば良いと思ってるのか。弱肉強食だけで世の中は動くべき、動物として生きるべきという事か。

 


もし弱者を切り捨てた場合、今度は残った強者の中で弱肉強食が始まる事は理解出来てるのかな。選民思想の恐ろしさは理解してるのかな。そして自分が間違う事に恐れはないのかな。

 


僕にはダメな友達がいます。酒に飲まれていつもしっかりとした事が出来ない奴がいる。上手く人と喋れなくて、上手く輪に入っていけない人がいる。でもそんな奴がドラム叩かせたら凄かったり、絵を描かせたら素晴らしかったりする。人の優劣だってどこから見るかだと思う。ある角度から見たら小さな犯罪者だけど、ある角度から見たら最高に楽しい人もいる。

 


殺人やら、取り返しのつかない事をした人はずっと刑務所に入れておけば良い。死刑もしょうがないかな…って思う時もある。間違いが怖いから死刑論者にはなり切れないけど。

 


とにかく正しさの押し付けには疲れた。正しさは法に任せたい。それが僕の考え方です。