「マイノリティー」

 

 

 

 

僕は昔から平凡な人だった。運動はまあまあだったし、勉強もまあまあだった。ルックスも普通だし、特に目立つ事もなく、嫌われても、尊敬されてもいなかった。サラリーマンの父と専業主婦の母親という家庭に育ち、反抗期の冷静な姉と、勉強も運動もクラスで2番目くらいで出来は良いのに気の弱い兄がいた。おじいちゃんは昭和そのものなくらいに偏屈だったし、おばあちゃんと母親の折り合いは昭和そのものなくらいピリリとしていた。貧乏でも金持ちでもなく、周りが羨むような幸せも、周りが哀れむような不幸も無かった。言わば僕はマジョリティーだった。マジョリティーのど真ん中にいた。

 


僕はいつもその他大勢で、それを疑問にも思わず、ただ平凡な事を受け入れていた。だからマイノリティーなんて言葉とは無縁だったし、意識もした事が無かった。マジョリティーなんて言葉はもっと知らなかったけど。

 


それが今では作詞作曲家で、パートのおじさんで、お母さんみたいなお父さんという、合わせ技一本的な立派なマイノリティーになっていた。そんな独特なポジションは周りを見渡しても存在は確認できない。そんな自分を受け入れてくれる周りの人々には感謝以外ない。

 


でも、そんなマイノリティーな自分を実感する中、マジョリティーなんてものは存在しないんじゃなの?幻想なのでは?と考えるようになった。この世界はマイノリティーの集合体。みんなが同じだなんて子供だから思ってたんだと思う。誰も彼もがマイノリティー。だからこそ誰かと繋がろうとして、外れる事を怖がっている。

 


マイノリティーで行こう!なんて高らかに声を上げるつもりはないし、世界にひとつだけの花とか言うつもりもない。みんなが特別で、誰もが特別じゃない。そんなの当たり前の事。でも気づくのは意外に難しいのかもしれない。やっぱり心細くなっちゃうのかな。自分だけの何かを求めながら、マジョリティーであると信じたい複雑な気持ち。

 


殊更人に合わせようなんていらない気がする。無理に自分の色を出すのも無粋な気がする。自然体が当たり前のように転がってる世界が良いな。その時にはマイノリティーもマジョリティーも、そんな考え自体が無くなるのかもしれない。

 


あぁ、またいつもの夢想家の独り言を呟いてしまった。僕はジョン派なんです。イマジン主義。天井には「YES」って書いてある。それがたとえ嘘っぱちでも。