音楽家と人殺し、又はシャーマン

 

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繊細じゃないとものつくりはできないんだなーと今まで出会った、才能溢れる人達を見ると思います。みんなどこか不安定だし、とても明るく爽やかで元気な人でも、奥底に仄暗い部屋みたいなものを持ってる。

 

 

 

きっとその繊細な感覚が日常から何かを感じ取り、メロディーにしたり言葉にしたり、物語にしたり、絵画や彫刻にしたり、演技したり踊ったりに昇華していくんだと思う。その感覚がないとしっくりくるものは作れない。そんな感覚を持つ人達はほぼ100%、みんなどこかがイカれてる。

 

 

 

だから何かの拍子に向こう側に足を踏み入れてしまう人が多いのはしょうがないと思う。いやそれが許されるとか言う話じゃなく、避けられないという話で。勿論周りの環境がたまたま整ってバランスを崩さない人もいるだろうし、自分を強く持って保ってる人もいるでしょう。でもバランスが崩れる時は必ずあって、そうなってしまったらもう過ぎ去るのを待つしかない。雨風が重ならない事を祈りながら、じっと膝を抱えている。

 

 

 

才能というのはそういうものなんだと思う。それは無条件には手に入らない。何か面倒な事を引き受けた人にのみ宿る、怪しい形の無いもの。それを宿す事を人は求め、それ故に苦しむ。

 

 

 

でも音楽や小説、絵画や踊りでも良いけど、基本的に自分の頭の中にあるものを吐き出す作業なので、良いものが出来た時はカタルシスがある。そこには喜びがある。

でも、演技はどんな感覚なんだろう?基本監督の頭の中にあるものを具現化するコマであるのが俳優さんだと思う。そんな仕事を全うするには引き出しが多い事も大事だけど、空っぽでなければいけない。頭の中にあるものを吐き出す作業ではなく、空っぽにして何かを受け入れるシャーマンのような存在。とても仕組みが入り組んでいて、解けない糸がそこにはあるような。

 

 

 

今読んでいる小説は殺し屋が沢山出て来るんだけど、殺し屋はどういう人間かの説明が、音楽家とかものつくりをする人達と合致して笑っちゃった。やっぱりその領域に行かないとダメなんだろうな。ものを作るという事は。

 

 

 

自分がその領域にいるのかは、全くわかりませんが。