それぞれの10年

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あの時の事は忘れられるものではない。サラリーマンとして働きながら社内初の男性育児休暇を3ヶ月取り、たおと2人家にいた。のんびりとした普通の一日だった。

 

 

 

揺れた瞬間、本能的にたおを抱きしめた。我が家は隣がマンション建設中で、地盤強化の工事をしたばかりだったからか、それとも地盤が元々堅固なのか、それとも何かに守られていたのか、幸い揺れは少なかった。CDラックの上のペンギンフィギュアが2つくらい落ちただけ。それが我が家の地震による影響だった。

 

 

 

その日はミムラスとライブの予定だった。ミムラスと連絡を取り合うと、家の中は食器が散乱する惨状だという。ライブも出来る状況ではなかったので中止になった。ミムラスがその日1人でいるのはかわいそうだったので、我が家に泊めた。まだ知り合って間もなかったけれど、そんな事は関係なかった。嫁の弟も家に帰れず、我が家に泊まった。みんなで肩を寄せ合っていた。

 

 

 

その後、たおの様子を心配した父が我が家に来た。たおは元気そのものの赤ちゃんで、地震とは関係ない存在だった。しかし、放射能の影響で水が危ないとの報道が出る。たおはまだミルクを飲んでいた。水は必須。たおを父に任せて僕は水確保に走った。それでも水は見事に売り切れており、500ミリのペットボトルを心許ない本数確保した。

 

 

 

翌日、家の前には重たい箱が置かれていた。2リットルの水が一箱。2階に住む大家さんが、子供のいる我が家を心配して届けてくれたのだった。人の優しさに触れた瞬間だった。

 

 

 

僕はその時、たおの為に引っ越した先の大家さんが優しかった事、その家の揺れが少なかった事、そしてたおの為に取った育児休暇で地震の時にその家に居た事。そんないろんな事で、僕はこの小さな命を守っているつもりだったけど、僕はこの小さな子に守られてるのかもしれない。そんな風に考えた。そしてそれをブログに書いた。

 

 

 

すると数人から「命を落とした人もいるのになんて能天気な!」「自分だけ助かったからってそれでよいのか!」とか書き込みが来た。今だったらそんなの聞き流せるのだけど、地震津波の映像を前にして心をやられていた僕はとても滅入ってしまった。すぐにその日記を消した。僕はその時に自分が予想以上に傷ついていることを知った。そして大惨事というのは人の心をナーバスにさせ、それが人を攻撃的にさせてしまう事も知った。それは今のコロナでも続いていると思う。

 


今日何かをしなければいけないとかは考えてない。静かに亡くなった人達の命を考えて祈りたい。それぐらいしか出来ないし、変に騒ぐのも違うと思うから。

 

 

 

あの時1歳だったたおがもう11歳。もう10年か。まだ10年か。それを決めるのはそれぞれで良いと思う。それぞれのペースで。時間はそれぞれ同じだけ流れるけれど、それをどう感じるのかは全く別の話。誰かにそれを決められたくはない。