歌が上手くない人の音楽

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最近のポップミュージックのサウンドプロダクションは、とにかく音数が少なく、その分一つ一つの音を研ぎ澄ませるという方向に進んでいる。わざと隙間を作るのは勿論、ベースの音だけで空間を埋め、その上に特徴的な音が一つだけなるみたいな感じ。ビリーアイリッシュのバッドガイをイメージしてもらえたらわかりやすいよね。

 


そうなると何が必要かというとボーカリストの力量になる。最小限の飾り立ての中で、地味にもならず真ん中に立っていられる歌。自らリズムを生み出す歌。隙間を満たす歌。いつの時代だって歌の魅力というのは普遍だけれど、今は特に歌の上手い人優位な時代。

 

 

 

これが、ぼろっちぃ歌でも味で勝負する系の人にはなかなか大変な時代になった。自分がそっち側なので、ずっと苦労してる。コンペの歌でさえ上手さを求められる時代。歌が上手い作曲家が優位というよくわからん状況が生まれてる。

 

 

 

アイドルはみんなで歌う事でそこをパスしたり、わざと上手くない人をクッション的な位置に置く事でアクセントにしたりと、試行錯誤を繰り返してる。でも完成度という意味ではなかなか難しい。歌が上手いアイドルが持て囃されるのもそんな流れ。

 

 

 

じゃあ歌が上手い人、選ばれた人だけが音楽をやれば良いという事になるとそれは違う。少なくともポップミュージックはどんな人でも輝ける可能性がある音楽。選民思想に抗う音楽。だから誰もが始めて、情熱がある人が続けて、そこでオリジナルな何かを掴んだ人が浮かび上がる。今の流れとは違う何か。それは必ずある。それを掘り当てなくてはいけない。闇雲に掘ったり、習いを定めたり。でも掘る事をやめたらいけない。

 

 

 

そりゃ歌が上手い方が良いさ。でも自分にそれがなければ?諦める?それもまた違うよね。自分の意思で始めたなら、意思が絶える時までは続けなくては。別の武器があるはず。それを磨いて。え?何も武器持ってない?うーん。それで何をしたいの?

 

 

 

というような気持ちで歌が上手くなくても作り続けてる俺です。こんだけ異常に音楽作り続けてると理由が欲しくなるのよね。自己弁護みたいなもんだけど。