楽しい暮らし

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今、日本国内でそれなりに楽しく暮らすにはどのくらいのお金がいるのだろうか?

 

 

 

それにはまず楽しい暮らしというのを定義しなくちゃいけない。そんなものは人によるし、それぞれ全然違うと思う。でも、最低限の暮らし、食べるものと寝る場所があり、それを得る為の仕事(またはそれを埋めるくらいのなんらかの収入)があり、たまに会ってしゃべる友達が何人かいれば、他はそんなに必要はない気がする。それでそれなりに楽しい暮らしというのは完成する。細かい事は抜きにして。しかもアマゾンプライムなりNetflixSpotify等があれば余暇は埋まる。本だって図書館もあればブックオフだってある。友達と飲みに行くのだってセンペロで十分だ。日本はそれなりの暮らしをするための生活コストが異常に低い社会になっているようだ。楽しい暮らしなんで、手を伸ばせばそこにある。

 

 

 

そうなると大きな志を持って歯を食いしばる人生とは何なのだろう?と思ってもおかしくはない。今の若い人達に、この緩やかに満足できる社会を変革して何かを作り上げるエネルギーを求めるのは難しい。特に欲望を元にしたエネルギーなどは意味がないのかもしれない。良い車乗って良い女抱いてみたいな昭和の価値観は跡形もなく消えた。浜田省吾のマネーの歌詞を若い子が見たら、は?って感じだろう。ドンベリニヨーン♪

 

 

 

そして若い人は清廉の世界、清き心の世界に行く。社会を綺麗に。それは間違ってないし、本当に若い子は真面目だし、悪事を考えてる人は少ない。とにかくつるんとした綺麗な心を持ってる。エネルギーは全て綺麗な世界を達成する事に向かう。綺麗の基準が狭いと、それはそれで怖い世界なんだけど。

 

 

 

そんな綺麗な心を持って、そこそこ幸せに暮らす若い人たちを見て、GAFAのような大企業が作り出した、無料コンテンツ漬けの管理しやすい大衆が完成した!とか言うのは陰謀論者なのかもしれない。幸せのハードルは下がった。それって良い事じゃない?みんなが小さく幸せになれる社会。でも何かが舌先に残る。漠然とした違和感。

 

 

 

今の世界、好業績を上げる企業は従業員が少ないそうだ。少人数で大金を山分けする。いや、その仕組みを作った人がほとんどを得るのか。富の集中。一握りの大金持ちと、小さな幸せが沢山存在する世界。これは正しいの?そうじゃないの?ひと握りの金持ちが暴走しなければ問題ない気もするし、そもそもの根本が間違ってるような気もする。

 

 

 

答えを僕は持ってない。岸田さんが金融税を口にした。一律20%だった税率を累進課税にするとか。それは正しい事のように思うけど、それでは市場に金を呼び込みにくくして、企業が回らなくなり、不況になり、民衆が困るとかいう説もある。実際岸田ショックで株価は低迷。もう何が正しくて間違ってるのか。難しいなぁ。

 

 

 

ただ平和に楽しくて暮らしたい。その希望はもうすでに叶っているのかもしれない。でもその達成の仕組みは正しいのだろうか?世界は複雑に絡み合っている。