ドライブ・マイ・カー

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映画や本の場合、見た後にはその作品自体の感想よりも、それを受けて自分がどう思ったのかが浮かび上がって来ます。音楽だともっと身体的だったり根源的で、本能で感じたまま思考まで辿り着かず、脳を通る事はあまりない(職業的には通ります)。でも映画や本はきっちり脳を通過して、感情と自分の哲学的な所に行き当たる。ドライブマイカーはまさにそんな映画だった。

 

 

 

1番感じたのは、人が誰かの事を完全に理解出来るなんてのは幻想だし、意味がないという事。誰かを理解したいという気持ちは大事だし、その気持ちがなければ全ては自己愛でしかない。だけどそんな幻想に惑わされて、その人との距離がわからなくなるくらいなら、しっかりぶつかって、お互いに傷つき合うのが正しいんだと思う。その人を理解するという事は、むしろ自分の気持ちを理解する事なのかもしれない。

 

 

 

僕の大好きな映画のパターンは、それなりの人生を生きてた主人公が崖から転げるように落ちて、そこからなんとか這い上がってちょっと上を見る。このパターンにめっぽう弱い。ポールトーマスアンダーソンの映画の常套手段。ドライブマイカーは長時間の映画だったけど、この流れが繊細で、そして丹念に描かれていて、全くダレる事なく見れました。映像の美しさのおかげもあるかな。あと音楽ね。無音という音楽。

 

 

 

この映画では、周りから理想的に見えた主人公夫婦。お互いの愛情には間違いがないのに、その間にはなんとも言えない隙間がある。

僕ら夫婦も理想的な夫婦だと周りから思われてる。お互いの愛情にも疑いはない。でもそれはもしかしたら幻想かもしれない。嫁の事を全て理解してると思ったら大間違い。だから僕は今日も嫁にきっちりぶつかりに行き、傷つきながら愛情を抱きしめている。この作業を怠ったら、夫婦の絆なんて簡単に引きちぎられると思ってる。

 

 

 

喋ることのできない役の女優さんがとても良かった。あの夫婦が出て来ると画面が明るくなる。しんどいストーリーを描くなら、絶対にああいう存在は必要だなぁーって思う。僕は夫婦で誰かの人生のそんな存在になりたいと思っている。うちに来て、話をしたら少し気が楽になる夫婦。家庭。そんなものを僕は作りたい。

 

 

 

いやしかしあの主人公の奥さんはきれいだ。みんな惹かれるのはよくわかる。あんな人いたら吸い込まれちゃうよね。