ブスな女の子

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村上春樹の「一人称単数」を読んだ。その中で気になったのが、ブスな女の子とデートした話。ブスというのが引っかかるなら、容姿の優れていない女の子。

 

 

 

村上春樹はその女の子が嫌じゃなかったし、付き合う事がなかったとしても、また会うのが嫌なわけじゃなかった。そう書いていた。文章を読むとわかるけど、そこには優しさとは違う、人への礼儀というか、尊厳というか、とにかく汚れていない何かがあった。僕はそんな心の有り様が気に入って、文章に入り込んだ。

 

 

 

僕は小学5年生の時に、いつも頭がボサボサで、先生に雀の巣のような頭して!と言われた学年でも1、2を争うブスの女の子にバレンタインのチョコを貰った。それに対して嬉しい気持ちと、それを遥かに超える照れ臭い気持ちが小学生男子にはあって、結局僕はとても冷たい態度を取った気がする。とても子供じみて、残酷だったなぁーと今では思う。

 

 

 

正直僕はブスというものが特に気にならないタイプだった。なので小学四年生の体育で、男子が女子をおんぶしてリレーする競争(今考えると凄い事してるな…)があった時、その雀の巣頭の女の子は予想通りに余ってしまった。そしてやはり誰もおんぶをしたがらない。でも、僕は先生に指名されて、特に嫌がる事もなくおんぶした。その女の子は僕のそんな態度に恋に落ちたらしい。

 

 

 

そしてそんな幼少期を過ごした僕は、二十歳になった頃、専門学校にいた年上のクラスメイトと付き合う事になる。その容姿は、みんなになぜ付き合った?と思われるような子だった。ウーパールーパーとか、魚類か両生類みたいな顔。でもなんか侘び寂びがあって嫌いじゃなかった。

 

 

 

料理が凄い下手で、マゾで、暗黒舞踏が好きで、エロ本に修正を入れる仕事をしていた名古屋弁の女のコだった。二つ上だけどお姉さん感は皆無で、今冷静に思えば何が良かったのかはわからない。でも特に無理矢理付き合った覚えはないし、この子嫌だなぁーなんて思った覚えはない。マゾはちょっとキツかったけど。だけど僕はその子と付き合った。

 

 

 

村上春樹は「付き合う事はなかったとしても」と文章の中で書いていた。僕の場合は付き合うまで行ったので、村上春樹を超えて、よりブスが気にならないタイプという事になる。確かに中学生の時も、隣の席にいる子を好きになったけど、その子も可愛いとは無縁だった。結局、僕はすぐ慣れるのだ。最初は多分しっかりブスだと認識してしてるんだと思う。でも日常的に見ていればそんな事は気にならなくなる。美人は3日で慣れるというが、僕的にはブスだって3日で慣れる。そんな大した事じゃない。

 

 

 

結局その名古屋弁のマゾの子とも別れるのだけど、その子は別れた3年後くらいに交通事故で死んでしまう。もうこの世界にあの子はいない。雀頭の子はどうしてるのか。もはや名前も覚えてない。

 

 

 

ただ最終的にまあまあな美人嫁と結婚してるので、僕の言葉にはリアリティがない。でも結局顔で選んでないんだと思う。今の嫁に対しても。人が面白くて、優しさと献身の姿勢があって、グッとくる何かがあればそれでいい。そんなもんだよね。恋愛って。顔は嫌じゃなければ良い。嫌な顔ってのはあると思うけどね。それは美醜を超えて。

 

 

 

人を好きになるなんて、ちょっとしたきっかけですよ。ブスかどうかなんて、軽々と超えるんですよ。それが恋です。恋の力は凄いんだから。まあそもそもブスかどうかも誰が決めるんだ?って話ですけど。