オリジナリティ

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ギターポップだとか、ビートルズだとか、ファンクだとか、ああこの人はあの音楽が好きなんだろうなぁーと感じる音には好感が持てる。音楽というものは歴史という文脈の中にあり、どこかの系譜に必ず連なっている。その何かを受け継がなければ、貧弱で痩せた音楽になるのは避けられない。豊かな大地を引き継がなければ、生まれる音楽が薄っぺらくなるのは必然。


でもこれがあの人の物真似?と感じると急に冷めてしまう。この差は何なのか?昨日Spotifyを聴いてたらまんまディランの人が出て来て、ちょっと冷めちゃった。ディランに影響を受けた音楽はかっこいいけれど、ディランの真似に聴こえたら、それは芸であって、音楽として聴けなくなる。音楽って難しい。


僕らの世代以降だとオアシスの物真似は結構多い。オアシスは好きだけど、物真似になると途端に白ける。一時期の下北はフィッシュマンズだらけだった。そうそうバンドブームの頃は8割ボウイもどきだったな。そこから抜け出す何か。きっとそれが、オリジナリティなのかもしれない。


でもオリジナリティなんて、なかなか自覚は出来ない。何となく朧げに見えて、それを追いかけてるうちにオリジナルになってる。そんな感じだと思う。その頃には人から指摘されるようになって、そのオリジナリティは強固なものになり、完全に自分の奥底に根付いている。むしろ逃れられない。自分はビートルズコステロが大好きだし、実際に好きでしょ?と人から言われるけれど、物真似と言われたことはない。キチンと消化した自負はある。そして、作曲家として書いた曲も、やっぱりエガワ節あるねと言われる。それがきっとオリジナリティなんだろうけど、それは気づかないうちに出来上がったもの。狙ってなんていない。そういえば文章もそう言われる。エガワ節。それこそ文章なんて全くオリジナリティを考えたことはなかった。でも、続けてればいずれ出てくる。オリジナリティってそういう事かも。


ビートルズコステロXTCの英国ポップ、パンク・ニューウェーブ、その流れでBEAT UKで聴いたギターバンドやオルタナティブミュージック、80'sのヒットチャートポップ、ファンク、松田聖子筆頭の歌謡曲、バンドブーム、エピックソニー勢、そんなものに影響を受け、いつしかエガワ節は生まれた。しつこく聴いて来た音楽が自分の豊かな大地。音楽聴くのは飽きた事ない。生粋のミュージックラバーなのが、自分の強みなのかもしれない。