愛されたい

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音楽に関わってない自分が不自然に思える。そう昔から思える人は天才かどうかはわからないけれど、先天的に音楽側の人間なんだと思う。そんな人は音楽を続けるべきだし、そんな人が音楽を続けられない事は、不幸な出来事でしかない。


でも、音楽をやってる人が全員そういうわけではないのは純然たる事実。ただ先天的ではない人の中には、人生でどれだけ音楽に比重を置いて生活してして来たのか、どれだけ心血注いで音楽に向かって来たのかという濃密な時間が、音楽に関わらない事を不自然に感じさせるパターンもある。言うならば努力型パターン。


そしてもう一つパターンはある。それは祈り、命綱、すがるパターン。音楽に選ばれていないけれど、それでも音楽を手放せない。音楽以外に何も見つからない。その上、努力型だと言うほど自分では胸を張れない困った人。それはとてもみっともないし、憐れにすら思うけれど、自分も含めた大半の人は、ここに入るのではと思う。これ読んでドキッとする人、いっぱいいると思う。


まあ一つだけ言い訳すると、努力型かどうかは人が判断する事で、自分で判断するのはおかしく感じるから、実際は努力型の人もいると思う。でも、人から努力型だと思われてる人も、自分ではそう思えないかもしれない。


音楽が仕事になっていたとしても、それは自分が音楽側だという事の証明にはならない。どれだけ売れてたとしてもわからない。だったらそんな事気にしなくてもと思うけれど、自分が音楽に愛されてるのか、いつも気になってしまう。この人は音楽に愛されてる人だなぁーって誰かに感じた時、いつもそんな考えが頭を過ぎる。


結局、答えは自分の中にしかない。気にしてもしょうがない事。でも音楽に愛されたい。抱きしめて欲しい。その気持ちが消える事はない。自分的には沢山音楽を抱きしめて来たつもりだけど、それで十分なのかはわからない。足りないかもしれない。永遠に続く音楽への片想い。長い長い片想い。これがあるから、いつも自分のラブソングは誰かを愛してるじゃなくて、愛して欲しいになってる気がする。音楽へのラブソング。届かない愛の歌。


どこかでこんな気持ちは落ち着く事はあるんだろうか?でも、ないんだろうなと思いなぎら、今日も音楽を作っています。