「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」

 

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昨日は仕事で六本木。滅多に訪れない街なので、仕事終わりに気になってた森美術館の「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」を見て来た。


日本のアニメやゲームを筆頭としたポップカルチャーの世界への影響は、日本人が考えてる以上に凄まじい。よく見てるYouTubeの「momoka Japan」と「ライアン鈴木」でも、世界中が日本のポップカルチャー、そして日本の西洋にはない文化に夢中になってる。今回の展示の中にもこれでもかと日本のポップカルチャーが表れている。ゲームは自分がやらないからよくわかりないけど、アニメではAKIRAエヴァGANTZは明らかな形で入り込んでた。むしろ入ってる事をみんなアピールしたい感じ。そこにアメリカ映画のエイリアンやゾンビなどのホラー要素が入るのがマストに見える。


デジタルの世界は際限がないので、もう全てが過剰。とにかくグロテスクだし、アナーキーだし、サイケデリック。音楽の世界でも、80年代にデジタルの録音環境が導入されて、その自由さにスティングが辟易してもうやらないと言ったり、ケイト・ブッシュが精神を病んだりしたのを思い出す。この先に禅の世界のようなシンプルな世界がやって来るのか?これ以上に過剰になるのか?音楽の世界も同じ世界線にいるので、未来が気になる。この作品展を見て、1番に思い出した音楽家は長谷川白紙。その源流としてのエイフェックス・ツイン。どちらも過剰な人達。


過剰になると細部への拘りも偏執的になり、細胞レベルの表現というか、ミトコンドリアとか、胞子を見ているような作品も多かった。それは現実では見えるはずのない世界。現実と非現実がごちゃ混ぜになってる表現も多く、これがデジタル表現の面白さだなと感じた。


そして一つ考えてた事は命の軽さ。リセットボタンで生き返る事が出来るゲームの世界を生きるから、命はある意味粗末に扱われる。でもそれがけしからん!というよりも、人生を大事に捉えすぎず、もっとカジュアルに楽しんで行こうぜ!というポジティブな表現に自分には見えていた。首が飛び、人が燃えて、車に轢かれる世界で感じるポジティブ。笑


ただ好き嫌いは凄く別れる。ピープルのアップデートされ続ける回転ビデオ彫刻「ヒューマン・ワン」、サンプリング的な躁病表現に目が離せなかった佐藤瞭太郎の「アウトレット」は特に好きだった。

アフロ・フューチャリズムという黒人が夢見た未来を表現していたジャコルビー・サッターホワイトには、デジタル表現の世界では、白人優位が終わっている事を感じた。

ギーガーを感じる彫刻的物体作品(で良い?)のアドリアン・ビシャル・ロハスや、細胞を描いたようなアニカ・イの絵画(で良い?その2)など、最終的に従来のアートの形に落ち着いてるのも面白い。

そして1番興奮したのは、ケイト・クロフォード、ヴラダン・ヨレルという情報通信技術の研究者でアーティストの作品、「帝国の計算:テクノロジーと権力の系譜 1500年以降」。16世紀以降のテクノロジーと権力がいかに絡み合ってきたかを描き出す、全長24メートルの「地図」。これがもう宇宙人が授けた叡智を表にしたような、圧倒的な作品で、何時間でも見てられると思う。これだけ見るのに入場料2000円払っても良い。


色々迷いの季節にいるので、思い切ってインプットに時間を使った。帰りに1人飲みしたお店も良かった。それで何が変わるのかは分からないけれど、また今日から仕切り直しで頑張ろうと思う。はい。