言語化

f:id:egawahiroshi:20250522132025j:image

音楽の世界では、「音で全て語ってるんだから言葉で説明するのは野暮」という考え方がある。自分もどこかでその考えに同調していたし、今だってその考え方の人を否定するつもりはない。でも、アート界の人から聞いた話で、少し考え方は変わって来た。


アートの世界、特に現代美術の世界では文脈が大事で、自分がどの文脈にあり、どのような事を考えてその作品を作ったのか、言語化する事が重要なんだそうだ。よく考えれば当たり前の事で、現代美術の世界は、黙って置いておけば理解出来るような作品は少ない。意味を超えて行くものがほとんどだし、こちらがアートを見るモードでなければ見逃してしまうものも多い。そこに言葉がなければ、理解は難しい。


勿論、作品の意味なんてのは、受け取り側の自由だし、どう受け取っても構わないと思う。正解は受け取った側にある。でも、最初に意味のとっかかりみたいなものがないのは不親切では?とも考えた。それは音楽でもそうだと思う。


ただ音楽の場合、メロディーのわかりやすさやポップ性というものが、その役割を果たしているのはあると思う。そこでハードルはかなり下がる。でも、この細分化された今の音楽の世界で、言語を少し添えて意味が通るなら、受け入れてもらいやすくなるなら、やる意味はあるなと考えてる。意味を添える事で、受け取る側の自由度が減るという考えも理解出来るけれど、それで音楽の魅力が著しく低下するとは思えない。わかりやすくなる可能性の方が高いかな?と自分の中では天秤が傾いている。


最近は喋る仕事が多い。喋り手として番組を持ってるとかそういう事ではなく、喋って説明したりする仕事が多いという事。そしてそこの能力を評価される事も多くなって来た。それは言語化能力を評価されている事を意味する。持っている能力は上手く使わないといけない。


これからのミュージシャンにも必要な能力かなぁ?と少し考えている。音楽は伝わらないと、誰かに聴いてもらわないと、音楽として完成しない。誰も聴いてない音楽は、まだ音楽として完成していない。自分はそう考えています。