Twitter改めXは、昔から便所の落書きに例えられる。まあそれよりは有益な事もあるし、それなりの機能を果たしている所はあるにせよ(非常時の連絡とか)、日常的にあれをずっと眺めてる人の感覚がわからない。酷いデマやら誹謗中傷、または口汚い罵り合いの嵐で、あんなのずっと見てたら頭おかしくなる。ラランドのサーヤが「Xはおしまい!」って言ってたのに100%納得する。
だけどそれでも日常的にXを検索し続けて、こんな事言ってる人がいて!とか、こんな考えはおかしい!とか取り上げ続ける人は自分の周りにもいて、それはもう滑稽でしかない。便所の落書きを念入りに読み続けて、その中に間違いを見つけると、自分の正しさが証明されたように糾弾する。それ便所の落書きなんだけど…。まるで自分が正義の権化で、みんなを導いてあげないと!とでも思ってるのだろうか。しかもそれでいて誰からいいね貰った!とか、有名人からのリプライに異常に喜んで、誰かからの、有名な人からの承認で自分の存在をなんとか維持してるように見えちゃう。そんな「人の看板」で自分を大きく見せるその姿には、もう憐れみすら感じる。
ただ、その人は絶対に悪い考えとかでやってるわけではない。言うなれば自分の正義信じるマン。自分の正義信じるマンには何を言っても聞こえない。だって正義なんだから。それを注意する奴は悪なんでしょう。政府がマスク着用の義務がなくなりましたってアナウンスしても「こんな電車内でマスクしてない人がいました!」って撮ったその人の写真をアップしたりしてね。その人は犯罪者でもなんでもなく、社会のルールに従ってるだけなんだけど。今の自分がマスクしないで電車に乗ってる事はどう思ってるんだろう?その矛盾には何も思わないのだろうか?聞いてみたいもんだ。
もうちょっと落ち着いた方が良いよ。その正義、そんなにキラキラしてないのよ。メッキめっちゃ剥がれてるから。っていうか、この世界に完璧な正義なんてない。真っ白なホワイト社会では、チリ一つも残らない、悲しい未来しか見えない。もう良い塩梅ってのはやって来ないんだろうか?