たおの一輪車物語、第1章終了

 

 


たおの一輪車小学生全国大会は15位に終わりました。2年生でチームに入り、2年半で全国の風景が見られたのはとても良かったこと。ただそこで見えた風景は、とてもじゃないけどこのままでは追いつけない。そう思える格の違う場所でした。

 


たおも自分の精一杯の演技をしたけれど、初めて味わう緊張、初めて味わう気負う気持ち、そんなものが出て初めて落車をしてしまいました。ビデオで見ると、足をついてクルッと回る技なんですが、つく方の足が滑ってしまったみたい。いつもは失敗しないところ。普段とコンディションの違う体育館で、他にも滑る子がいたので、やりにくかったのはあるでしょう。でもやっぱり緊張があった気がします。

 


たおは他の人の演技も食い入るように見てました。帰ってきてからも録画した他の子の演技を夢中で見てます。そして自分に何が足りないのかを必死で考えてる。その為に何をするべきなのか、考えまくってます。夢中なことは伝わってくる。子供が何かに夢中になっている姿は親としてもとても誇らしい。自慢の娘だなあって素直に思います。本当に。

 


これでたおの一輪車の冒険、第1章は終わったと思ってます。ただ上を目指したい無邪気な気持ちを抱きしめる時期。そんな時期は終わって、今度は本気で上を目指すステージに入ります。

本気のたおが望むものは叶えてあげなきゃいけない。親としても負担があっても受け止める所存です。何にも夢中になれない人をたくさん見て来たから、今のたおがとても幸福な時間を過ごしてると感じてます。子供の幸福な時間は自分で掴むものであるのと同時に親が用意してあげなきゃいけないもの。たおの頑張りに親も応えなくては。

 


こんなに我が家の中で一輪車の場所が広がるとは思ってなかった。嫁とも話すことの大半は一輪車の事になって来ました。

嫁は両親が元体育教師で、スポーツ少年団も運営してるので、スポーツの何たるかは熟知してます。僕は音楽に夢中になって生きてきたので、夢中になる人間の気持ちを熟知してます。そんな僕ら夫婦2人で力を合わせれば、たおの行く道をサポートしてあげられる気がしてます。たおの応援団は強力です。

 


頑張れたお。目標は日本一。そして世界一。諦める必要なんて何もない。思う存分打ち込むべし。前だけ向いて頑張るべし。

酒なんていらねえby高杢禎彦

 

 


昨日は散々だった。めざましテレビの占いで獅子座が2位だったとは思えない散々な日。

 


前の日に確かに飲んだ。1時半まだ飲んだ。でもそれはライブが終わってからで、始まりは11時過ぎ。2時間ちょっとしか飲んでない。量は飲んでないし、帰り道も真っ直ぐ歩けた。

翌日だって朝は少し頭が痛かったけれど、たおの朝ご飯は問題無く作れた。普通に動けた。それが夕方にかけて全く動けなくなっていく。

 


いつもと違ったのはがぶ飲みしたのが麦茶だったこと。スポーツドリンクではなかった。塩分も必要だと思うからシジミの味噌汁も飲んだ。なのに朝よりも昼が、昼よりも夕方の方が具合が悪かった。

結局3時くらいにスポーツドリンクに変更したらちょっと良くなった。夜にはなんとか動けるように。でも今朝もちょっと具合悪い。まだ余波が続くなんて。

 


二日酔いに麦茶はダメ!なんて情報があったら教えて欲しい。ミネラル豊富な水分がダメだなんて思えないけど、確実にいつもと違ったのは麦茶。証拠はないけど、状況証拠は揃ってる。

 


1時半まで飲んだのは阿部桃子ちゃんのライブの後。沢山音楽の話をした。同じディレクターの元で音楽を作ってる、同門の妹弟子として、感じていたことは全てぶつけた。彼女は全部持ってる。素質も、センスも、テクニックも。一緒にライブしたのんちゃんも、女の子であれだけ弾いて歌える人はいないと絶賛してた。でも全部持っていれば完成じゃない。彼女は今メタモルフォーゼの真っ最中。音楽の真ん中にある、音楽ではないもの。そんな不確かなものを掴んだ時、彼女は跳ねる。孵化する。脱皮を終えた時、どんなシンガーソングライターになってるのか。とても楽しみな1人。いつ孵化するのかはわからないから、その瞬間を見逃さないように、みんな注目したらいい。

 


ちなみに桃ちゃんはナウシカのテトそっくりです。ルックスまで持ってるなんて。俺には素質も技量もない。まあセンスは持ってると信じてやってるけどさ。ルックスは…ないよなあ。本当よくやってるよ。俺ごときで。苦笑

 

難しい年頃

 

 


いよいよ週末は一輪車小学生全国大会。世界を目指すと口にするようになり、順調に技術を上げていったたおは、とりあえず四年生でこの舞台にたどり着きました。まあ今回は優勝できるような段階ではないので、経験を積む場ですけどね。とにかく全力で頑張るだけ。週末は福島にいます。

 


四年生にもなると友達との違いに色々ボヤキはじめてます。まあなかなかに不安定な友達もいるので、そこに戸惑いがあるのはわかる。

でもたおの凄い所はそんな日替わりで人間が変わるような友達に対しても

「まあそういう時もあるよねー。なんだか笑っちゃったよ」

と平然としてる所。キャパシティがめちゃめちゃでかい。

 


たおは自分にやるべきことがあるので、友達に依存してません。全然1人でも大丈夫だそうです。なので一輪車のチームでみんながふざけて集中出来てない時は、黙々と技を磨いてます。クラスでも周りに人がいなければ本を読むし、誰かを無闇に求めることは無いようです。

でもコミュニケーション能力は高いので、誰とでも友達になれます。1人でも大丈夫な人が、コミュニケーション苦手だと孤独を誘発するし、自分以外の世界を受け入れられない人になるので心配。でもたおは人一倍コミュニケーション能力があるので問題はない。素直にそう思える。親としては一安心。

 


いやしかし、友達に依存せず、それでいてコミュニケーション能力が高いって、これは最強なのでは?と最近思います。この先に色々トラブルもあると思うし、もちろん大変な目にも合うんでしょうけど、それを乗り越えられる下地はつけてあげられたかな。親としてこの世界で生きる術の第1章は上手く伝えられた気がします。まあまたすぐに第2章がやってくるんでしょうけど。子育てに終わりなし。

 


たおは一人で生きているわけではないので、周りと協調もしなくちゃいけない。周りはそんなに第1章が上手くいってない子も多い。所謂難しい年頃。そんな季節が始まったんだなぁーと感じます。たおが今どんな状況を迎えているのか、そんなことにも敏感にならなきゃいけない。家の中で完結する子育ては終わった。

 


最近いろんな人に子育て本執筆を勧められます。まあ書き上げた2作目の小説が子育て小説なので、それの発表が先だな。そろそろ動くかね。よくわかんないけどやってみるべ。

 

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写真は3歳のたお。今はとても肩車なんて出来ません。笑

 

 

残りわずか

 

 


これはやばい。やめなくちゃダメだ。これ以上はまずい。再起不能になる。禁断症状が出ないうちに。

悪の元凶はNetflix。ゾンビ好きとしては見ちゃうよウォーキングデッド。全裸監督を見るために入ったけど、無料期間で終了だ。やることがたくさんあるんだ。そんな暇などない。

 


もし暇を持て余してるなら、今の世の中は最高だ。月に1000円でNetflix見てれば時間は潰せる。それ以外にもyoutubeだなんだとお金がかからないものがたくさんある。正直これに図書館とセンベロのお店があれば、もう何もいらないんじゃないだろうか?目の前にあるものだけを貪って、それこそそのまま死んでいける。まさにウォーキングデッド。頭を撃たれるまでは。

 


みんな大志を抱けよ!なんて言うつもりは全くない。そんな人生で楽しく過ごせてれば特に問題は感じない。そんなの政府に管理されてるだけだろ!なんて言う政府の陰謀主義者の人は納得いかないでしょうけど、僕は人間の欲望は限りなく、そして怠惰なこと限りないだけだと思ってる。それは本能とも言い換えられる。

 


でも、何かやるべきことがある人、これがやりたいんだ!って気持ちがある人には敵でしかない。まず自分の時間を奪われる恐怖。そして自分が作ったものが誰にも見向きもされない恐怖。この麻薬に自分の作品は勝てるのだろうか?

 


自分の人生は残りわずかだと思ってる。いや不治の病がとか、そんなことではない。健康そのもの。でも頭の中にあるやりたいことと、残り時間の釣り合いが取れない。ギリギリ。しかもたおの幸せも考えなきゃいけない。嫁には世話になってる方が大きいので、感謝するだけだけど、家族の幸せは考えなきゃいけない。そんな時に頭をグサリとナイフで刺す映像ばかりは見てられない。サヨナラロジータ。マギー幸せに。頑張れダリル。ミショーンは死なない。死なないよね?ね?

 


関ジャニから錦戸君脱退だって。アイドルも残り時間が少なくなれば、自分の進む道を考えるだろう。演技に集中したい人、すばる君のように音楽に集中したい人も出て来る。女の子のアイドルはもっと時間が少ない。みんな明日のことを考え始める頃。

 


焦りすぎても良くない。回り道が必要な時もある。でも、塾考して要らないと判断したならしょうがない。切り捨てる痛みは十分理解してるはず。サヨナラジュディ。

 


頭をやらなきゃ死なないからね。間違えないように。頭だ。頭。サヨナラNetflix

 

デビュー20周年ライブのお知らせ

 

 


今年の7月1日でデビュー20周年でした。キティエンタープライズ最後の新人としてデビューした20年前のあの日。スガさんのスタッフクレジットを調べてディレクターの名前を調べ、その名前宛にテープを送ってデビューという、王道にして実はあまり聞かないデビューへのストーリー。思えば遠くへ来たもんだ。

 


今年は所謂アニバーサリーイヤーなわけで。ライブ活動中止してるとはいえここで何かやらんと一生立ち上がらんなぁーと思い、20周年ライブを企画しました!詳細はまだ未定ですが日程と場所だけお知らせします。

 


エガワヒロシ20周年記念ライブ〜肩慣らし編〜」

12月7日高円寺ampcafe

 


何をやるか全く決めてません。料金も時間も。夜なのは間違いないですが。

まあ場所的にアコースティック中心になりますが、今回を終えて来年にはバンド編成もやりたいかなと。そんな風に思ってます。のんびりさんの20周年ライブ。いつだって周回遅れ、いつだってバスには乗り遅れる僕です。20年経っても変わらないグズグズ具合。

 


僕は作詞作曲家としての仕事を修行のように捉えていて、そこで血肉化したものが自分の音楽の力になるんだと思って日々取り組んでいます。

でもふと思った。その力、どこで披露するんだ?無論次に来る仕事で役に立つのは理解してます。でもそれではピンポイントで、自分の的に向けて全力で投げ込む機会ってなかなかやって来ない。そんな考えが頭をもたげる。ムクムク。そうか、自分の曲か。久しぶりに気づいた、自分の音楽を作ること。

 


台湾の当たりまくる占い師に

「あなたが音楽の仕事をしてるのは間違いじゃない。でも、自分の為の音楽も絶対にやめないで」

と言われたのがとても胸に残ってます。自分の音楽か。なんか胸の奥がツンとする言葉。ちょっくら年末に向けて、その意識も思い出そうと思ってます。

 


発表しちゃったからもうやめられない!尻に鞭打ち頑張りまーす!あふ。

エッジに触れる

 

 


アーティストは不幸じゃなきゃいけないみたいな言説が大嫌いだ。精神疾患自慢、トラウマ自慢みたいなインタビューで祭り上げられる、作り上げられたカリスマを売りにする人は基本的に毛嫌いしてる。

 


幸せの中から名曲を作る!そんな考えは常に持っている。でもそれは、平々凡々としてても良いんだよ、っていう事とは違う。不幸である必要はないが、強烈な体験、エッジに触れる経験は、ものつくりをする人、何かを生み出す人には必須なんだと思う。

 


昨日は雑多な音楽業界の人々と飲んだ。そこで現在も一線で活躍するカメラマンさんと大御所作詞家さんのインド話になった。若い頃、それぞれ1年、3ヶ月半とインドに滞在しており、そこで体験したヒリヒリするような体験を話してくれた。

 


廃人同様の人がそこかしこに転がる世界。川に赤ちゃんの死体が流れ、そこで沐浴して歯を磨く人達。話の一つ一つが強烈。ぐちゃぐちゃになった泥のような話が、極彩色の物語として僕らの前に差し出される。

 


この強烈な経験がある2人の表現には幅、奥行きがある。命を晒して生活した経験は必ず何かをもたらすんだと思う。きっと見えてる風景が違うんだろう。才能、元々持ってるセンスの上に、その経験が重なって花開いているのは間違いない。何もない人だったら、そこに転がる廃人の列に加わるだけだったかもしれない、正にギリギリの世界。

 


それならみんなインドに行け!というのも違うと思う。大事なのはエッジを意識する事。ありきたりの日常の中にもエッジは存在する。それを見つめる意識、それを感じ取る感受性、それが必須なんだと考えてる。不幸になれば良いわけではない。そこにあるヒリヒリしたものを見逃さない事。それが生命線。

 


最近色んなことが転がり出しています。生活が少しずつ変わって来ています。僕はどこに向かって転がっているのか、自覚的で計画的なタイプではありません。風任せで流れに身を任せているところがある。でもエッジに敏感になりながら、必要な選択は勇気を持ってしていきたい。風に舞うコンビニ袋ではなく、風に乗る凧のようになりたい。

 


凧糸は嫁とたおが握ってる。それが我が家の形。僕はもっと上手く風に乗らないといけない。そうじゃなきゃ、しっかり握ってくれてる家族に申し訳ない。

 


ちなみに、実は我が家で1番エッジが効いてるのは嫁です。この普通のOLのような顔した嫁が。この人を侮ってはいけない。笑

エントロピー増大の法則

 


最近読んだ本で読んだ、エントロピー増大の法則が面白くて色々考えてます。

 


エントロピーとは「混沌」のこと。整っているものは崩れていくし、集まったものは拡散するし、とにかく万物はまとまりを拒否する。大げさに言えば死に向かう。そしてそれは自然な姿だと。キレイにした部屋は汚くなるし、体は衰えるし、愛は冷めていく。それは自然の摂理らしい。

 


しかし、それに唯一抗おうとするのが人間だそうです。細胞は死んだそばから新しい細胞を作っていく(最終的には新しい細胞が追いつかなるわけですが…)国、家族、夫婦という枠組みを守ろうとすることもそう。言わば神に背いてるのが人間なのかもしれない。

 


これを読んで、自然の摂理に従って混沌を受け入れるんじゃ!って考える人もいるかもしれない。抗うからストレスを感じて苦しむんだと。その論理には破綻はない。

でも、僕は自分の意思について考えてしまう。僕は何かに流されたくない。自分の意思で生きたい。生かされたくなんかない。エントロピーがなんぼのもんじゃい!と思う。

 


人間の出発点なんて知らない。僕のルーツは両親から受け継いだもの。人に優しく、自己犠牲を厭わない母と、必要な決断は冷徹にする父親に育てられた。そこには崩壊しない愛情があり、強固な家族があった。それは自然な姿ではないのかもしれない。でも僕の出発点はそこ。両親にはそんな家族を作る意思があった。僕も意思を持って家族を作る。

 


我が家はエントロピーの増大の法則に抗えているだろうか?人間がモノを集めたがるのも抗う例の一つらしい。我が家のレコード棚もそんな自然へのレジスタンスなわけだ。

 


たおは自然の摂理なんかには負けない子供に育ってます。色々トラブルはあるんだけど、全く動じず、平然とした顔で乗り切ってる。ずっとエントロピーなんてやつに抗いながら生きて欲しい。自分の意思で生きて欲しい。それがたおに教えたいこと。

 


何でも思う通りになると思うなよ!と天に向かって呟く。そんな夏の終わり。随分と涼しくてなったねえ。