伝えたい事があるんだ

 

 

 

 

僕が沢山呟いたり、沢山投稿したりするので、もううんざりしてる人もいると思います。申し訳ないとは思うんだけど何でかやめられない。なのでSNS上の繋がりなんていつでもパツン!と切ってもらえたらと思ってます。それで恨む事も嫌いになる事もない。人間としても付き合いたくない!って言われたらちょっと悲しくはありますけど。

 


どうしてこんなに発信するのか?自分でも良くわかってなかったんだけど、最近強く思う事があります。それは、僕は、僕という人間は「伝えたい事がある」って事。

それが何なのか、はっきりさせろと言われても困るんだけど、とにかく僕の中には伝えたい何かがマグマのように溢れています。

 


昔はこんな人では無かった。歌詞を書く時にメッセージなんてないから「あいうえお」でいいんじゃないの?って思ってた人だ。それがb-flowerの八野さんのインタビューで「意味がないのなら、意味がない事が伝わる歌詞を書かないといけない」という言葉に頭をかち割られ、意味がない事を書くのに必死になった。それは必死に歌詞を書いていたって、伝えたい事がない人だったって事。尾崎みたいな時代の代弁者の役割が出来る人では無かった。メッセージロッカーとは百万光年離れた人間だった。

 


それがいつの間にか、身体中から伝えたい事が溢れまくっている。別に自分の考えが正しいから、みんなの目を覚ましたいとかそんな血迷った教祖みたいな事は思ってない。自分の思ってる事がとても重要な事かは知らない。ただ、ただ、伝えたい。声を届けたい。

 


そんなもん音楽家なんだから音楽でやれ!って言うのも至極真っ当。その通り。がしかし、がしかし。音楽で伝えられる事、物語で伝えられる事と、言葉で伝えるものとは全くの別物なんです。というか音楽なんて説明できる事を歌ったって面白くない。説明できない何かがそこにないといけない。その為にメロディーに乗せるんだから。なので音楽では音楽で伝えられる事を込めてる。

 


文章は思ってる事をそのまま書いてます。しかも喋るように。いや喋っているつもりで書いてます。頭の中にその時その時で伝えたい事が溢れまくり、その洪水の濁流に任せて文章を書き殴る。それを全方位に向けて発信する。それが今や僕の日常。

これに何の意味があるのか?もはや全くわからない。でも溢れるものがあるなら、それは吐き出さなきゃいけない。役割なのか?自慰行為なのか?目的もゴールもわからない。今日も僕の言葉は意味のない場所に溜まっていく。たまに誰かが拾っていく事はあるかもしれない。大事に抱えてくれる人がいるかもしれない。でもそれとこれはあまり関係ない。届けば嬉しいけど、吐き出さないと頭が爆発しちゃうから、何かが絡まってしまうから、僕は今日もこうして文章を書いている。音楽を作っている。

 


伝えたい事があるんだ。伝えたい事があるんだ。伝えたい事があるんだ。

 


伝えたい事があるんだ。

不得意な人

 

 

 

 

一輪車に向かう1時間ちょっとの時間は親子のコミュニケーションの時間でもある。

 


たおの学校で、授業にあんまり出られない子がいるそうだ。その子は出られないと言っても弱気なわけではなく、強気で色々主張するので、友達の中にはムカつく!みたいに言ってる人もいるらしい。それはちょっと違うかなぁーと思い、こんな風に話してみた。

 

 

 

世の中には得意と不得意があって、たおは学校に行くのが得意だろ?でもその子は行くのが得意じゃないんだよ。勿論たおだって眠い時や、行きたくない時があるのも知ってる。頑張って行ってるのも知ってる。でも、得意な人と得意じゃない人を一緒に考えるのはうまいやり方じゃない。得意な人の考え方だけでは、上手くいかないと思うよ。

 


動物の世界では弱肉強食って言って、強いものが食べて、弱いものは食べられる。それは自然の世界では当たり前のこと。だったら、人間もそういう風にしても良いよね。そう考えたっておかしいわけじゃない。弱い人は排除すれば良い。弱い人は生きられなくなってもしょうがないって。

でもね、強さって得意って事だよね。弱いって不得意って事だよね。何かが不得意な人も、他に得意な事があるはずだよね。自然の世界の弱肉強食と違って、人の世界には色んな見方、考え方がある。だから何か1つが不得意な人の事を、あんまり悪く言わない方が良いと思う。得意なみんなだけでルールは決めない方が良い。頑張ってる人は頑張ったおかげで得られるものが必ずある。だから頑張れない人のこと、それが不得意な人の事を責める必要はないんだよ。その子も学校が得意じゃないだけで、他に得意な事があるはずなんだから。

 


そんな風に説明すると、たおは納得してた。小さい時からこういう話を丁寧にしてるので、違和感はないみたい。

 

 

 

我が家の教育はこうして深まっている。沢山話をして、沢山話を聞いている。とりあえず優しい子には育っていかなぁ。まだまだこれからですけどね。9歳だし。

そしてこういう話をすると自分の考え方も整理出来る。子供に成長させられるってのはこういう事なんだろうね。まあ僕もお父さんとしてはまだ9歳。ゴリゴリの青二才ですな。人生はこれからだ。

どうやって音楽作ってる?

 

 

 

 

人の作業してる所が見たい。最近敏腕キーボーディスト、違いのわかる男こと吉田君と作業したんだけど、とても勉強になった。音楽を作る人にはそれぞれの角度があり、その角度を知る事で見てる世界が変わる。俺には出来ない!って事もたくさんあるんだけど、ヒントはそこら中にゴロゴロしてる。

 


僕はデビュー時、ディレクターの「エガワにはプロデューサーはいらない」という判断で、セルフプロデュースでデビューをした。デビュー前もバンドは長続きせず、ほとんど人前に出る事もなく家で1人、引き籠もって曲を作っていた僕は、メジャーでの音楽作りも1人で行う事になる。

そんな時、経験のない僕の行き詰まる姿を心配してか、売れっ子アレンジャーの松浦晃久さんと作業をする事になった。家に行って初めて一緒に作業した時の衝撃は忘れられない。この人全部の楽器を1人で表現してる!この人、全てが音楽で出来てる!と唸った。どんどん良質音楽が積み上がっていく衝撃。僕の今の音楽の作り方はこの光景が原点になってる。まあ、楽器の技術とセンス、経験があまりに違うので、全く別物ですけど、作り方は一緒なのです。恥ずかしながら。

 


家で音楽を作る人にはそれぞれのやり方があるはず。何か僕の知らない秘密があるんじゃなかろうか?必殺技があるんじゃなかろうか?是非それを知りたい。貪欲に求めたい。裸で作業とかそういう事じゃないやつで。

 


音楽作る所見せてくれる人募集。何か手伝える事あったらやるんで、音楽作ってる所見せて下さい。よろしくお願いします。

育児休暇

 

 

 

 

小泉進次郎が取得で話題の育児休暇。実はたおが生まれて1歳になる時、サラリーマンだった僕は社内初の男性育児休暇を取得しました。しかも3ヶ月。9年前の話。

 


社内は上へ下への大騒ぎでした。先輩に呼び出されてお前何考えてるんだ?って言われたり、お客さんからも色々言われたり。直属の上司は色々思う事はあったはずでも飲み込んでくれて、なんとか無事育児休暇には入れました。でもそれは僕が音楽の人だと認識してくれてた上司だから。こいつはいつかいなくなるんだと認識されてたというか。普通にサラリーマンしてる人だと本当に大変だと思う。

 


事実、復帰した時には元の部署には戻れませんでした。社内でもあの人の下についたら大変…と噂される人の下に配属になります。今まで配属された人が、体を壊すか会社辞めるかという、どちらかの道を必ず選ぶという伝説の上司。まあそこはそんなに気にしなかったですけどね。社内でも群を抜いて飄々としてたんで、右から左へ受け流してました。ムーディーばりに。でも結局僕も辞めるので、伝説は続くんですけどね。笑

 


男性が育児休暇を取るのは数%と言われてます。でも、実はそのほとんどが2週間です。進次郎もそうだね。でも正直言って、2週間だとやってる事を理解して終わりだと思います。理解した後、その中で自分ができる事は何なのか?何をすると奥さんが楽になるのか?そこまで掴んで初めて男性の育児は始まる。

そんなの奥さんが何して欲しいか言えばいいじゃん?って声が聞こえて来そうですが、奥さんも初めての育児でパニック状態なんです。静かに寝てるだけで生きてるのか不安になるんです。その時に2つの目があると本当に安心出来ます。子供の命が自分1人にかかっている!というプレッシャーを取り除いてあげて、初めて色んなことが考えられる。そんな時間を作るのが育児休暇なんだと思います。

 


そして育児休暇取得の普及について考える時、この間読んだドイツの労働時間の短さ、長期休暇取得の容易さについての記事を思い出します。結局育児休暇へのハードルは、自分が抜けて業務が滞る事。それは長期休暇とも同じ事。ドイツではその休みで空いた穴をどうしてるのか?その答えは意外なものでした。なんと、何もしてないんです。ただ滞るんです。それを社会が受け入れているだけ。迷惑を掛け合うだけ。これは目から鱗

 


会社の仕組みを整えなきゃ!とか色々考えますけど、人に対する、社会に対するハードルをちょっと下げてあげる。それだけで育児休暇は普及するのかもしれない。そんな風に思う。社会で子供を育てる意識。年取ったら誰もが若い人にお世話になるんだから、だったらみんなで育てないと。そんな考えが一番必要なのかもしれない。ちょっと求めすぎかもよ。人に。

 


そして僕はこんなお父さんになりました。育児も家事も手伝うものではなく、自分の仕事と認識してます。2人とも仕事してたら当たり前の話なんだけどね。まあでも良い方向に進んでると思うよ。男性の育児。これからの世代は当たり前になるんじゃないかな。うん。

 

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私刑

 

 

 

 

前から思ってるんだけど、社会的制裁というのは必要なんだろうか?憲法でも私刑というのは禁止されているはず。民主主義国家では刑法というものがある。その刑法で裁かれた人を更に攻撃するのは正しい事なんだろうか?

 


特にネットの世界での「正しさ」を掲げまくり、我に理あり!みたいな態度で断罪する人達がいる。いや法を犯している人に、特に酷い犯罪だったらそんな気持ちを持つのは無理もない。俺だってそう。でも、それで住所晒してやれ!だの、殺してしまえ!的な言説はどうなんだろう?気持ちはわかるけど、刑法上の罰を超えて攻撃する必要はあるんだろうか?

 


芸能界で薬で捕まったような人達に対して、それこそ2度と戻れないようにすれば良い!なんて言い方をする人もいる。あれも法で裁かれるわけで、それ以上の攻撃は必要なんだろうか?勿論、芸能界はスポンサーありきだったりするので、スポンサーが難色を示すから起用できないとかはわかる。でもそれと2度と戻って来れないとは別なんだと思う。

 


どんな時でも正しさを求める今の声の強さにはちょっと異常さを感じてます。人は間違う生き物だという観点が抜け落ちすぎてる。人は間違うから罰も用意されており、その罪の大きさで受ける罰も違う。罰が小さすぎるっていうなら刑法を変えて行くべきだし、そういう方向の議論はわかる。でもまるでストレス解消のように罪人を叩き続ける姿には恐怖しかない。みんな自分は絶対に間違えないとでも思ってるんだろうか?自分は永遠に強者で、あんな心の弱い奴のことなんて考えなくていいんだ!って思ってるんだろうか?自分は貧困にも鬱にもなるはずがなく、心が弱る事もないとでも思ってるのだろうか?人は強い人だけで出来てるわけじゃない。弱い人は切り捨てれば良いと思ってるのか。弱肉強食だけで世の中は動くべき、動物として生きるべきという事か。

 


もし弱者を切り捨てた場合、今度は残った強者の中で弱肉強食が始まる事は理解出来てるのかな。選民思想の恐ろしさは理解してるのかな。そして自分が間違う事に恐れはないのかな。

 


僕にはダメな友達がいます。酒に飲まれていつもしっかりとした事が出来ない奴がいる。上手く人と喋れなくて、上手く輪に入っていけない人がいる。でもそんな奴がドラム叩かせたら凄かったり、絵を描かせたら素晴らしかったりする。人の優劣だってどこから見るかだと思う。ある角度から見たら小さな犯罪者だけど、ある角度から見たら最高に楽しい人もいる。

 


殺人やら、取り返しのつかない事をした人はずっと刑務所に入れておけば良い。死刑もしょうがないかな…って思う時もある。間違いが怖いから死刑論者にはなり切れないけど。

 


とにかく正しさの押し付けには疲れた。正しさは法に任せたい。それが僕の考え方です。

愛され力

 

 

 

 

我が家の一人娘たおさんは一輪車の為に新宿のチームから立川の向こう側の強豪チームへ移籍。そのくらい上手くなりたい気持ちが強いんですが、その結果が少しずつ出て参りました。

 


一輪車の走るスピードなども見るからに上がってますが、わかりやすいのが1分間スピンの回数。文字通り1分間に一輪車で何回回れるか。なかなか100回の壁を破れずに苦労してたのですが、遂に100回を超え、昨日は102回を記録したようです。帰ってきた時の満面の笑み。大興奮で報告してくれました。

 


また、ジャンプアップという技。前のチームではピョン立ちと呼ばれてたこの技は、一輪車に乗りながらペダルを踏み台に飛び上がり、サドルの付け根の所に着地してそのまま立ち上がって進む技。これをずーっと練習して、くるぶしを青く腫らし続けてました。それがやっと手を引っ張ってもらえる状態なら成功するように。前は1日1回くらいだったのが昨日は何回も出来たらしい。

 


昨日は小学生を教えるコーチが来てくれたのだけど、そのコーチのたおへの愛が半端ない。可愛い!の連発でたおの姿を見ては身悶えているわけです。母性ダダ漏れ状態。それはチームの先輩にも言える事で、みんなが猫か犬かのようにたおを可愛がります。

そんな姿を見ていると、きっとこの愛され力がたおの最大の力、神様から授かった物なのかもしれないと感じます。何かしたわけでもないのに、ただ可愛がられる。これは持って生まれた力。才能。人たらしの素質。

でも、その力を何に使うかが大事で。上手く使わなかったら宝の持ち腐れ。上手く自分の行く道に結びつけて欲しいなぁ。その力は誰もが持ってる物じゃないからね。

 


今日もこれから一輪車の練習。小学生の間は付き合うとしたら、あと2年か。なんとか頑張るべ。親をこんな気持ちにさせるのもたおの力かね。誰に似たのよ。本当に。

おじさん、おじさんに甘えられる

 

 

 

 

地下鉄にて。ドアのそばに立っていたので、駅に着くと降りる人がいないか気にかけていた。その駅はほとんど降りる人がいない駅なので、降りずに様子を見ていた。すると1人のおじさんが奥から出てくる。なので端っこに寄っておじさんの道を開ける。しかし、おじさんは頭を傾けて、駅の名前を確認する感じでノロノロ歩き、俺の直ぐ後ろまで来て、そのまま降りなかった。

 


あ、次の駅で降りるから、その為に早く出口近くに出て来たんだ。用意周到な人だなぁーと思っていた。次の駅で降りたから実際そうなのかもしれない。

 


でも、その傾けた頭が縦に戻ることはなかった。その傾けた頭の方向にあるのは俺の背中だった。広くもたくましくもない背中。そしておじさんの頭は、顔は、頬は、まるで恋人の肩にもたれかかる乙女のように、俺の背中に密着した。背中におじさんの体温を感じた。

 


ん…俺、おじさんに甘えられてる?

 


確かに混んではいた。動き辛いことは間違いない。でも、頭を真っ直ぐするだけで俺の背中は回避出来る。というか人の背中に顔が密着してたら嫌じゃないのか?ねえ?どうなのよ?おじさん。

 


ドアのガラス越しにおじさんの顔を見た。髪も少ない、太ったのに貧相な、色の白いおじさん。メガネの奥は無表情だった。俺の反応を見てたんだろうか?

露骨に嫌な顔をしながら身をよじる。そしてガラス越しにおじさんと目が合った。

 


おじさんは…。ニコリと笑った。

 


そして地下鉄は駅に到着して、おじさんはホームの波に飲まれて行った。おじさんだからいやなわけじゃない。たとえ若い女の子だったとしても…。いや若い女の子はオッケーだ。勿論熟女だって。やっぱりおじさんだから嫌なのか?これは俺の中にある偏見なのか?差別なのか?

 


おじさんの顔の感触は背中に残された。今日はこの感触と共に過ごさなければいけないのだろうか?おじさんの置き土産。そんな置き土産、俺はいらない。

 


たった今体験した、リアルストーリー。