昨日の三島喜美代さんについて書き忘れたポイントが一つ。とてもシンパシーを受けた所。
それは三島さんの人生が幼少期から不幸せに見えない事。この表現の世界では、やたらとトラウマや、傷、痛みが重要視される。若い時はこんな暗かったですとか、精神を病んでたとか、闇こそ正しい表現の源泉である。そんな感じがとても強い。それは音楽の世界でもある。強く。
でも三島さんは昭和の日本人女性だから、お母さんには結婚して妻になることを求められたり、それで一回結婚してすぐに離婚したとかはあるけれど、そういう闇のエピソードがない。全然出て来ない。家族だってお父さんは絵を描くことを応援してくれてたみたいだし、2番目の旦那さんとは不仲のエピソードなど全くなく、むしろ抽象画の世界に誘ってくれたのもこの旦那さん。しかも2人で絵描きだから貧乏暮らしの苦しさみたいなものもあったと思うんだけど、それもお金ないから、その辺にあったものでコラージュを始め、それがのちに認められる表現の礎になったという、明るいエピソードに繋がる。もうとにかく闇から何かが生まれているみたいな感覚がない。フラットで、穏やかな表現。
自分も特にそんなものはない。闇と言えるほどのものは持ってないと思う。そんなものがないと表現は生まれないのかな?なんて考えた事もあるけど、そうじゃないよなぁーって最近は考えてる。そしてそれを体現するような表現をしてる三島さんに胸を貫かれ、やたらと感動したわけです。根っこは面白いかどうか。ただそれだけ。このシンプルな思想が最高。
トラウマ源泉の人がいるのはわかるし、それぞれに源泉があるわけだから、それはそれで良いと思う。でも、そうじゃないと、アーティストは不幸じゃないと、みたいな考え方は嫌。そう言う人の気持ちも、感覚も理解できるけど嫌。自分はそう思ってる。そしてそんな自分にとって、三島さんは最高の表現者で、体現者なわけです。
もし行ける人は是非体感して来てください。明後日まで、練馬区立美術館でやってます。