美しいゴミ

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一緒に京都芸術大学で講義をしてる森さんと打ち合わせをした時に、今練馬区立美術館でやってる「三島喜美代展」を勧めてもらいました。森さんは今や自分のアートの水先案内人なので、早速行って来ました。これがめちゃくちゃ刺さって。とにかくやられて。三島さんの作品は勿論だけど、歩み、佇まい、考えと、とにかくどこをとっても共感しかなくて。そんな人は初めてなので、戸惑いと眩暈が同時に襲ってくるくらいハマりました。


1番の共感ポイントはゴミへの偏愛と、作品作りの出発点がただ「面白いから」という事。

自分の母親は、ゴミを拾って来てそれを再利用するような人でした。なので昔から自分も拾ってくる習性があります。またベックが芸術に目覚めたのは、おじいちゃんがゴミから作品を作り上げるのを目の当たりにした時って話も大好きで。とにかくゴミから何かを生むという事に変質的な拘りがあります。


だからなのか、綺麗な音というものにいつまで経っても興味が持てないでいました。そして自分も積極的に「ゴミ」である事に拘っていて。でもそれはプロフェッショナルの世界では受け入れられない事です。だから自分もゴミを入れる場所を限定するなどの手法でなんとか乗り切って来てました。でも、今日三島さんの作品を見て、出発点は間違ってないよと、そんな言葉をかけられた様な、そんな気がしたんです。


また、今でも音楽を作り続ける理由は楽しいからです。音楽を作るのが何より面白いからです。仕事にするにはそれだけでは無理な事くらいわかってるし、そこまでナイーブではありません。でも出発点、出自はそれでも良いんだよな。そんな風に思ったんです。


絵の描き始めが、高校の先生に「自由に描いていいよ」って言われた事が大きいって話も良かったし、父親だけが応援してくれてたって話も好き。見た目もただのその辺にいるおばあちゃんで、全然アーティストっぽくないし、それは若くニューヨークにいた時もそうだった。夫婦で絵描きで、絵の具を買うお金もないからその辺にあるものでコラージュを始めたって話も大好き。作品の細かい成り立ちとかどうでも良くて、面白いからやってるってスタンスも最高。それでいてとにかく作りまくってて、ユーモアもたっぷり。ああ、俺はこういう人になりたかったんだ。そんな風に思った。そしてインタビューの中で、私みたいな普通のおばちゃんがやってるんだから、みんなやれば良いのよ、ってなんの力みもなく言い放つ大阪のおばちゃん風味。パンクだ。ニューウェーブだ。とにかくやってみる。これだよ。最高。勇気100%だ。


青すぎるし、三島さんと自分を同一視するのもおこがましい事は百も承知で、自分は間違ってない!と言い切ってしまいたい。今日はそんな気分。心が高揚しすぎて、こんな文章になってしまった。ああ、こんな自分をどうぞお許しください、今日は本当に行って良かった。三島喜美代さんを知れて良かった。岐阜県現代陶芸美術館も行ってみようかな。三島さんが外装を担当したなんばオリエンタルホテルにも泊まりに行こうかな。もうとにかく興奮してる自分がいる。先頃亡くなってしまったのが残念でならない。会ってみたかったなぁ。91歳か。父親と同世代だ。


アートって凄いな。本当にそう思う。