言葉を超える

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ミムラスの陶芸作品展。そしてその中で行われるライブに行って来た。久しぶりにミムラスのライブを見て、シンガーソングライターしてるなぁーと羨ましくなった。シンガーソングライターとはメロディーやアレンジも重要だけど、芯にあるのは歌詞だと思ってる。今のリアルな歌詞を歌う事。それが最も重要。そんな風に思い、自分は最近リアルな今の気持ちが歌えてるのか?と疑問に思った。久しぶりに自分も新曲を書いて、今の自分の気持ちを歌うべきかもしれない。次のライブまでに挑戦してみよう。


ライブの後は言語学者の伊藤雄馬さんによるワークショップ「わたしの言葉をつくる」が行われた。タイやラオスの山岳地帯に住む狩猟採集民族、ムラブリの言語を研究する伊藤さんのワークショップは、気付きの連続だった。


ムラブリは言葉を自分達で作り出す事を日常的にしているという。言葉を作る。普段確立された日本語を使って会話をする自分には理解し難かった。最後に言葉を作る事を会場にいるみんなで挑戦した。


普段作詞家としても活動してる自分は、例えば「愛してる」を「愛してる」という言葉を使わないで表現したりする。もっと伝わる、刺さる言葉を探して悪戦苦闘してる。しかしそれは言葉の範囲内の話であり、それを超えろと言われて混乱してしまった。


意味ではない世界。意味を超えて成立する「言葉」の世界。「犬」がなぜ「犬」というのか?「正しい」はなぜ「正しい」というのか?答えは無いし、何かを求めてもスルリと抜け落ちていく。言語という不思議な世界に驚きを感じた。


1番感心したのは、何か一つの言葉を定義した時に、その言葉がわかるもの達が仲間になるという話。言葉というものはそういう「線引き」をする。そしてそれは仲間じゃ無いものを生み出す事も意味する。


僕がいつも積極的に浮遊しようとする事。積極的に風見鶏でいようと思う事は、ここに帰結すると思った。仲間じゃ無い人を作りたく無い。その言葉で線引きをしたく無い。自分の正しさなんてものが盤石では無い世界で、決めつける言葉を発する事には、いつもためらいを感じてしまう。自分が正しいなんて信じられない。


言葉にはまだ無限の可能性がある。「美味しい」はその隣にまだ言葉があっても良いはずだ。「痛い」にも、「苦しい」にも、「楽しい」にもその隣に何か言葉があってもおかしく無いはずだ。言葉の進化はコミュニケーションの進化に直結する。いやはやとても難しい話題だけど、とても面白かった。そして刺激的だった。


イベント終了後に、フルートのたまこさんとサシ飲みした。そして最後はミムラスも合流して、3人で飲んだ。みんな色々あるな。でも生きてて良かった。本当に良かった。そんな一日。